中日ドラゴンズの石川昂弥(いしかわ たかや)さん。

東邦高校時代は『主将・エース・3番打者』を一人で背負い、2019年のセンバツで全5試合に先発して全勝、母校を優勝に導いたスーパー高校生。そのままドラフト1位で地元・中日ドラゴンズへ進み、いまも打線の中軸を担う存在として期待されています。
そんな石川昂弥さんを育てたご実家、そしてお父さん・お母さんはどんな方たちなのでしょうか?
今回は石川昂弥は母とカラオケに行く仲良し親子!父や実家の兄弟もまとめた!
という事で、ご実家のある愛知県半田市の話から、元球児のお父さん、仲良しのお母さん、そして姉と弟まで、石川家をまるごと調べてみました。
石川昂弥の実家はお金持ち?
まずは、石川昂弥さんが生まれ育ったご実家のあたりから見ていきましょう!
石川昂弥の実家の場所は愛知県半田市
石川昂弥さんが生まれ育ったのは愛知県半田市。知多半島のほぼ中央にある町です。
通われたのは半田市立有脇小学校、そして半田市立亀崎中学校。どちらも地元の公立校です。
この有脇小学校がご実家のすぐ近くで、放課後も休みの日もお父さんと野球の練習に入り浸っていたのだとか。

ということは、小学校まわりの住宅街にご実家がある可能性が高そうですね。(※番地などが公表されているわけではないので、あくまで推測の域を出ません)
面白いのが地域の話で、ご実家のある地区は413世帯のうち約3割にあたる120世帯が「石川さん」なのだそうです。
幼いころを知るご近所の方たちは、いまでも「昂弥」「昂弥」と自分の孫のように呼ぶのだとか。
プロになっても呼び方が変わらないというのは、地元に本当に愛されている証拠ですね!
石川昂弥の実家はお金持ち?
プロのアスリートを輩出するご家庭というと、裕福な資産家を思い浮かべる方も多いはず。
石川家はどうだったのか、手がかりを3つ並べてみました。
- 坪単価 15万円前後
- 半田市の地点ランキングでは45位(参照:2024年公示地価)
数字だけを見るかぎり、いわゆる豪邸が建ち並ぶ高級住宅街ではありません。
どちらかといえば手が届きやすく、子育て世帯に選ばれやすい土地といったところでしょうか。
小学校・中学校は公立に通われた石川昂弥さん。
高校で初めて私立へ進まれるのですが、その進学先がご両親の母校であり、愛知の私学四強に数えられる東邦高校でした。

お父さんの勤務先はネッツトヨタ愛知とされていて、
同社の正社員の平均年収は594万円というデータがあります。
そこにお母さんのパート収入が加わるかたちですね。
ここまでを合わせて考えると、資産家というより「しっかり働くごく普通のご家庭」というのが実像に近そうです。
ただ、少年野球チームへの毎週の送迎、バッティングセンター通い、水泳教室、そして私立高校の学費…と並べてみると、
「お金持ち」ではなくても、子どもの夢に惜しみなく注いできたご家庭であることは間違いなさそうですね!
石川昂弥の実家の両親(父・母)はどんな人?
続いては、石川昂弥さんを支えてきたお父さん・お母さんについてです!
石川昂弥の父親は元・高校球児!
お父さんもまた東邦高校硬式野球部の出身。しかも「平成」で最初の大会となった第61回選抜高等学校野球大会で優勝したチームの一員でした。

- 石川尋貴(いしかわ ひろたか)さん
- 1971年生まれ 55歳(2026年現在)
- 大学時代で選手としての野球は断念
- ネッツトヨタ愛知株式会社勤務
- ネッツトヨタ愛知労働組合 中央執行委員長(東邦高校評議員名簿より)
- 181cm
身長181cmという堂々たる体格。186cmの石川昂弥さんのサイズは、まぎれもなくお父さんゆずりというわけですね。
ただ、甲子園優勝のときのお父さんは控えの捕手で「メンバー外」。ベンチ入りは叶いませんでした。
それでも投手の投球練習を受け、持ち前のパワーでチームメートにノックを浴びせ続けるという、裏方に徹する日々を送られています。
果たせなかった夢と、それでも野球が好きだという気持ち。その両方があったからでしょうか。
石川昂弥さんの父・尋貴さん男の子が生まれたら野球をやらせたい
という思いのまま、息子さんが3歳のころにはもうボールを握らせ、投げさせ、打たせていたそうです。
平成の親子鷹
お父さんいわく、練習場所には本当に恵まれていたのだとか。
・通っていた小学校がすぐ近くにあった
・部屋の中や自宅の庭
・家の前の道路
そして小学2年生のとき、東邦高校OBでお父さんの先輩が監督を務める「ツースリー大府」へ入団します。
ここが厳しさで知られるチームだったのですが、なんとお父さんも同時にコーチとして参加。小学校を卒業するまでの4年間、まさに二人三脚で歩まれます。
チームの練習場は愛知県大府市の吉田町、そして同じ大府市の米田町にある多目的グラウンドでした。


半田市の自宅からだと車でも1時間以上かかる距離。
これを毎週となると、それだけでも相当な覚悟が要りますよね…。
しかもチームの練習とは別に、親子だけのメニューまで組まれていました。
- 毎朝お父さんの出勤前に家の前で30分ノック練習
- 週に一回バッティングセンター
- 小学6年までは水泳に通わせる→強い肩を作った原点
- 指先で弾いたピンポン球をおもちゃのバットで打たせる→右手で球をつかまえる感覚を養う
→弟はメガホンを使って同メニューをこなす
ここまで読むと猛烈なスパルタに見えますが、お父さんの子育ては昭和の『巨人の星』的なスポ根とは違ったそうです。
「やれ」と命じたことはなく、物心がつく前から野球が生活の中に溶け込んでいたという感覚に近かったのだとか。
当時の息子さんの様子を、お父さんはこう振り返っています。



嫌がることなく地道な練習をしていた
ところが、当のご本人はというと…



怖くていやだと言えなかった
親子で見え方がずいぶん違いますね(笑)。
少なくとも、野球に関してはかなり厳しいお父さんだったことは間違いなさそうです。
父の教え、プロを目指すということ
お父さんが息子に授けたのは、技術というより野球の基本と、考え方でした。
捕る・打つ・投げる。そこに、こんな言葉が添えられます。



(すごい選手を)認めることは大事だけど、すごいだけで終わっていたら、そこから上にはいけないよ
ただ憧れて終わるな、ということでしょうか。諦めない気持ちと向上心を、小学生のうちから叩き込まれていたわけですね。
チームに入れてみて、同学年の子との素質の差を感じ取ったのもお父さんでした。
「プロになれればいいな…」と初めて頭をよぎったのが、ちょうどこの頃だったそうです。
いっぽうで、もっと早い段階から「この子はプロに行ける」と確信していた人物がいます。お父さんの東邦高校同期で、元中日ドラゴンズの山田喜久夫さんです。
少年野球の監督(高校の先輩)から「石川の息子がうまい」という噂は届いていたそうで、実際に小学6年生の石川昂弥さんを見て、投手としても打者としても通用すると見抜いたのだとか。
そして「プロ野球選手になりたい」と口にした少年に、こんな言葉をかけます。



それなら人と同じことやってちゃ無理だよ
人が100やるなら、その先をやれ。プロに入る人間はみんなそうなんだ、と。
お父さんからも、技術以外にこんな教えを受けています。
・裏で支えてくれている人が常にいるということを忘れちゃいけないよ
・考えていることや思っていることは言わないと実現しない。『言葉にすることが大事だぞ』
ご本人も、当時のことをこう語っています。



細かいことを言われた記憶はありません。強く振れ、遠くへ飛ばせ、強く投げろ……。そういった基本でした
こうして小学6年生で「中日ドラゴンズJr.」に選抜。地元では名の知れた選手へと成長していきます。
スランプを打ち消した父の”予言”
プロ入り後、思うように結果が出ない時期がありました。「何してるんだろう自分」と、部屋にこもってイライラしていたこともあったそうです。
そんなモヤモヤを吹き飛ばしたのが、お父さんから届いた一通のLINEでした。



今、風呂入っとったら久しぶりにピンときたで言っとくわ。オープン戦第1号出るよ。おめでとう


本当に虫の知らせだったのか、それとも息子を乗せるためのポジティブな一言だったのか。
いずれにせよ、平成最初と平成最後にセンバツ制覇を経験した親子ならではの、なんとも粋なエピソードですよね!
石川昂弥の母親は仲良し親子
高校通算55本塁打を放った世代屈指のスラッガーは、じつは筋金入りのお母さんっ子。
野球に厳しいお父さんの隣で、やわらかく受け止める役を担ってこられたのがお母さんでした。息抜きであり、癒しでもある存在だったんでしょうね。


- 石川由香子(いしかわ ゆかこ)さん
- 東邦高校出身(女子バレー部)
- お父さんの1学年下
- パート勤務
つまりご両親は東邦高校の先輩・後輩という間柄。石川家と東邦のつながりは、ここから始まっているわけですね。
なお、お母さんの高校時代については「女子バレー部だった」という情報と、「野球部のマネージャーだった」という情報の両方が出回っています。
どちらもご本人が公の場で語ったものではなく、一次的な裏付けはないため、正直なところ真偽は不明です。ただ、どちらであっても「高校の部活動でご主人と接点があった」という点は共通していますね。
そんなお母さんから見た長男は、野球でも生活でも「本当にマイペース」なのだとか。
ドラフト入団直後、十分な練習時間も取れないまま開幕を迎えることになった息子について、お母さんはこう話されていました。



皆さん大変だからしようがない。自分でやれることをやって焦らずに(自分のペースで)やっていってほしいです
選手寮「昇竜館」では夜10時まで屋内練習場が使えると聞けば、「それをプラスにとらえて頑張ってもらえれば」とエールも。急かさず、信じて待つタイプのお母さんなんですね。
仲良しエピソード
東邦高校時代は下宿生活だった石川昂弥さん。実家に帰ってくると、お母さんを誘って二人でカラオケへ行くのが定番だったそうです。
フリータイムがお得になるのは3時間以上。ところが、なんせ二人きりなので…



2時間が限界なんですよね。歌う曲がなくなって疲れるらしいです
高校球児が母を誘ってカラオケ、しかも曲が尽きて2時間で撤退。想像すると微笑ましいですね(笑)。
買い物も「一緒に行こう」と声がかかるそうですし、プロになってからもお金の管理はお母さんの担当。
1000ピースあるドラゴンボールのパズルが欲しいとリクエストされ、ネットで注文してあげたこともあったのだとか。プロ野球選手になっても変わらない距離感が、なんだかいいですよね。
お母さんにとって忘れられない母の日は、石川昂弥さんが中学3年生のとき。
姉の愛菜さん、弟の瑛貴さんと3人でサプライズのカーネーションを手渡したそうで、そのとき添えられたメッセージカードは今も大切に保管されているとのこと。
…ただし、どこにしまったかは忘れてしまったそうですけど(笑)。そんなところも含めて、かわいらしいお母さんです。
石川昂弥の両親のエピソードも紹介!
高校での下宿、プロ入り後の寮生活。実家を離れて初めて見えてきたものがあったそうです。


・洗濯物を自分でやるようになったので、大変だったんだな
・お母さんの手料理でお気に入りは「ホウレンソウとチーズの肉巻き」
→作るのに時間がかかることも知った
当たり前だと思っていた家事のひとつひとつが、じつは手間のかたまりだった。離れて初めて気づく親のありがたさですね。
いまもご両親への連絡は欠かさないそうで、ネットで買い物をするときは相談してから、というルールも健在。
新型コロナウイルスの流行時には、歯科医院までお母さんに送迎してもらったこともあったとか。その車中では「練習ちゃんとできてるの」と聞かれるなど、少ない親子の時間をしっかり共有されていました。
ちなみに石川昂弥さん、小学5年生くらいまではお肉が苦手だったそうです。
それが成長とともに食べられるようになり、いまでは黒毛和牛5人前をペロリ、ご飯も丼5杯。好きな部位はイチボなんだとか。
体が資本の商売とはいえ、この体を作ってきたのはご両親の努力と愛情そのものですね。
石川昂弥が大阪桐蔭ではなく東邦を選んだ理由も両親!
「これだけの逸材なのに、なぜ大阪桐蔭のような全国区の強豪に行かなかったの?」という声も少なくありません。
ここでも決め手になったのは、やはりご両親でした。父・尋貴さんも母・由香子さんも東邦高校のOB・OG。しかも小学2年生から東邦OBの指導者のもとで野球を続けてきた環境です。
小学6年生のころには、周囲から「昂弥は東邦に入るんだろ?」と当たり前のように言われていたのだとか。
県外の強豪に出てしまえば、親はチームの内情も練習の様子も見えなくなってしまう。東邦なら自分たちの目で試合を見に行ける——そんな考えもあったと伝えられています。
結果として、父が果たせなかった甲子園優勝メンバー入りを、息子が主将兼エースとして果たすという最高の形に。両親の母校を選んだ意味が、これ以上ないくらい見事に回収されたわけですね!
石川昂弥の兄弟姉妹も調査!
お父さん・お母さんときたら、次はご兄弟。石川家のきょうだい構成も見ていきましょう!
石川昂弥の兄弟は姉と弟!!
石川昂弥さんは3人きょうだいの真ん中。3つ上にお姉さん、4つ下に弟さんがいらっしゃいます。
姉・愛菜
一般の方ということもあり、お姉さんの情報はごくわずかです。
- 名前 石川愛菜(いしかわ あいな)さん
- 1998年生まれ(2026年で28歳)
中学ではお母さんと同じくバレーボール部に所属されていたそうです。
そして高校では野球部のマネージャー。ご両親のDNAからして運動神経も良さそうですが、弟たちを応援しているうちに「支える側」に惹かれていったのかもしれませんね。
お母さんへの母の日サプライズを弟2人と一緒に仕掛けたのもお姉さん。石川家の”まとめ役”だったのかもしれません。
弟・瑛貴
弟さんもまた、父と兄と同じく東邦高校で青春を野球に捧げた高校球児でした。


- 名前 石川瑛貴(いしかわ てるき)さん
- 2005年9月16日生まれ(2026年で21歳)
- 182センチ、87キロ(東邦高校時代)
- 右投げ右打ち
- 2024年に東海大学へ進学


兄と同じく東邦高校硬式野球部で主将を務め、2023年の第95回記念選抜高等学校野球大会には4番打者として出場。1回戦の鳥取城北戦では4回に中前打を放ち、追加点のきっかけをつくっています。
兄と比較
同じ競技をする兄弟は、どうしても比べられてしまうもの。
ただ石川兄弟の場合、優劣というよりタイプの違いとして語られることが多いようです。
兄 ・ガツガツしないマイペースなタイプ(父談)
・主将として→プレーでみんなを引っ張るタイプ
弟 ・チャラいというか、今どきな感じ(父談)
・主将として→声を出して闘志で引っ張るタイプ



周りをまとめる素質は弟のほうがあるかも



投げるのは弟の方がすごいかも
お父さんもお兄さんも、弟の素質をしっかり認めているんですね。当の弟さんはというと、



兄は甲子園で優勝している、僕も優勝していつか超えたい
と、憧れの相手へのライバル心をメラメラと燃やしていました!
ケガ
じつは石川兄弟、そろって大きなケガに苦しめられてきました。
お父さんと同じ捕手として高校1年からベンチ入りしていた弟・瑛貴さんは、1年生の夏に右肩を脱臼。
ボールを投げられないほどの痛みで、野球をやめることまで頭をよぎったそうです。中学時代には足首の大きな骨折も経験しています。
息子の肩を案じたお父さんは、何度も「やめてもいいんだよ」と声をかけたのだとか。それでも続けた息子が、DHで出場した練習試合で本塁打と三塁打を連発。
その姿に胸を打たれたお父さんは、その動画をお兄さんへ送っています。そして、



兄より弟の方がメンタルが強い
とまで語られました。「体が万全なら弟のほうが兄よりずっと力はある」というのが、お父さんの見立てだったそうです。
その後、瑛貴さんは捕手から一塁手へ転向して復活。高校3年時のリハビリ中には、こんな言葉を残しています。



まだ振る力が足りないので、形よりもとにかく振り込むことを意識している
兄もプロ入り後に度重なる故障に泣かされてきた選手。ケガと向き合う姿勢まで似ている兄弟なんですね。
兄とは別のルートでプロへ
東邦高校を卒業した瑛貴さんが選んだのは、名門・東海大学への進学でした。
掲げている目標はこちら。
・卒業後、即戦力の選手としてプロにいけるように頑張る
・ホームランを10本打って本塁打王を取りたい
小学1年で野球を始めてから小・中・高と、4歳上のお兄さんが所属したチームをそのまま追いかけてきた瑛貴さん。
お兄さんは高校からドラフトでプロ入りしましたが、弟さんはあえて大学経由という別ルートを選択。理由は「OBに(巨人の)原元監督や菅野投手がいる」からだそうです。
2024年に入学されているので、2026年シーズンは大学3年目。兄が経験していない首都大学リーグで結果を残し、卒業年のドラフトを狙う——それが弟さんの描いている道筋です。
兄から弟へ
お兄さんはお兄さんで、弟に対して思うところがあったようです。
同じ競技をしているのに、家族がどうしても自分の試合ばかり見に来てしまう。そのことをずっと気にしていたのだとか。



野球のこととか自分中心で動いてたので、両親にはありがたいなと思いながら、弟には申し訳ないなと思いながらやってました
「弟のところに行ってあげたら」と両親に言ったこともあるそうで、長男らしい気遣いですよね。
東海地区大会準決勝の前日には、お兄さんから弟さんへ電話が入ったこともありました。



僕寝ちゃってて、そしたらLINEで『早寝はいいことだ』って。気にかけてくれるのは力になる。
秋の試合では、弟さんがお兄さんの高校時代の応援歌を使ったこともあったそうです。
追いかける弟と、それを気にかける兄。石川家の兄弟仲の良さが、こういうところに表れていますね!
石川昂弥の「怠慢走塁」批判とは?炎上騒動も振り返る
石川昂弥さんを調べていると、「怠慢走塁」というワードが出てくることがあります。ここも隠さずに触れておきましょう。
これは噂ではなく実際に起きたプレーで、大きな批判を浴びた出来事です。
舞台は2023年5月18日の阪神戦。8回、2死一・二塁の場面でした。
二塁走者だった石川昂弥さんが村松選手の左翼線への安打で本塁へ
→ しかし本塁の手前でスピードを緩めてしまう
→ その間に一塁走者だった細川選手が本塁でタッチアウト
→ 得点機を潰す結果に
この走塁にファンからは「全力で走っていない」「プロとして失格」といった声が殺到。中日OBの田尾安志さんも「怠慢プレーですね…チームの中心選手とは言えません」と厳しく指摘し、福留孝介さんも「絶対やってはいけないミス」とコメントしていました。
いっぽうで、当時の立浪監督は「ネクストのバッターがランナーに指示をしっかり出していなかった」とも語っており、走者ひとりの責任として片づけられる場面ではなかった、という見方も示しています。
期待の若手だからこそ風当たりも強くなる。この一件は、注目度の高さの裏返しでもあったと言えるかもしれません。
そして次の章で見るとおり、石川昂弥さんはその後もケガと不振に苦しみながら、2026年には勝負どころで打点を挙げる中軸へと戻ってきています。過去の一場面だけで選手を語るのは、やはりもったいないですよね。
石川昂弥の現在は?家族が見守る2026年シーズン
ここまで家族の話を追ってきましたが、では肝心の石川昂弥さんご本人はいま、どんな状況なのでしょうか。


2025年は井上一樹監督の期待を一身に背負い、開幕戦に「4番・三塁手」で先発出場。ところが打撃も守備も噛み合わず、シーズンを通して22試合の出場、打率.139・1本塁打に終わってしまいます。
オフの契約更改では700万円減の推定年俸2300万円。プロ野球の世界の厳しさが、そのまま数字に出た1年でした。
迎えた2026年は、5月16日にヤクルト・奥川恭伸投手から今季1号となる2ランを左翼スタンド上段へ。7月4日には涌井秀章投手の好投に応える決勝適時二塁打を放ち、8月6日にも均衡を破る2点二塁打でチームを3連勝へ導いています。



入団してからAクラス(3位以内)がない。絶対に狙っていきましょう
井上監督も「昂弥を引っ込めるっていうのは僕の中ではあまりない」と語っており、苦しんだ時期を経て、あらためて中軸として信頼を寄せられていることがうかがえます。
「焦らず自分のペースで」と言い続けてきたお母さん、「オープン戦第1号出るよ」と根拠のない予言を送ってきたお父さん。石川家の見守り方は、いまも何ひとつ変わっていないのかもしれませんね。
まとめ
今回は石川昂弥は母とカラオケに行く仲良し親子!父や実家の兄弟もまとめた!
という事で、ご実家のある半田市から両親・姉弟、そして現在までをまとめてお届けしました。
- 石川昂弥さんのご実家は愛知県半田市。地区の3割が「石川さん」という土地で、地元に愛されて育った!
- 実家は資産家ではなく共働きのご家庭だが、少年野球の送迎から私立の学費まで惜しまず注いできた!
- 父・石川尋貴さんは東邦高校で平成最初のセンバツ優勝を経験した元球児。ただし本人はベンチ入りできず「メンバー外」だった!
- 母・石川由香子さんは東邦高校で父の1学年後輩。カラオケも買い物も一緒という仲良し親子で、お金の管理はいまも母の担当!
- 大阪桐蔭ではなく東邦高校を選んだ決め手も「両親の母校だから」だった!
- 3つ上の姉・愛菜さんは高校で野球部マネージャー、4つ下の弟・瑛貴さんは東邦高校で主将を務め、現在は東海大学からプロを目指している!
- 2023年5月の阪神戦では「怠慢走塁」と大きな批判を浴びたが、監督は「ネクストの指示不足」とも指摘していた
- 2025年は打率.139と苦しんだが、2026年は本塁打・決勝打とチームに貢献し、井上監督からの信頼も厚い!
以上の内容がわかりました。
それでは、最後までお読みいただきありがとうございました。