俳優の渡部豪太(わたべ ごうた)さん。

2006年の映画『チェケラッチョ!! in TOKYO』や2007年のドラマ『プロポーズ大作戦』で注目され、NHK BSの『ふるカフェ系 ハルさんの休日』では2016年から主演を務めてきました。2021年に事務所を離れてフリーになり、ここ数年は舞台を中心に活躍しています。2026年1月からはNHK BS時代劇『浮浪雲』にも出演しました。
家族はこの顔ぶれです。
- 父:一般の方。新聞販売店を営んでいるという噂がある
- 母:一般の方。沖縄出身
- 弟:10歳下
- 祖母:青森出身。共働きの両親に代わって面倒を見てくれた
- 実家:茨城県日立市
- 妻:一般の方。2016年に結婚し、2021年に長男が誕生
渡部豪太のプロフィール
- 名前:渡部豪太(わたべ ごうた)
- 生年月日:1986年3月8日
- 出身:茨城県日立市
- 身長:179cm
- 経歴:スペースクラフト(24年間所属)→ 2021年からフリー
J-WAVEの番組『FREE SLIDE』のナビゲーターも務めています。
渡部豪太の実家は茨城県日立市
日立市で育つ
渡部豪太さんは、茨城県日立市の出身です。
小学校は日立市立櫛形小学校、中学校は日立市立十王中学校、高校は茨城県立多賀高校に通ったと言われています。
中学時代は柔道に打ち込み、年に363日ほど練習していました。すでに芸能の仕事も始めていて、オーディションのたびに部活を休ませてくださいと言うのが嫌だったそうです。「事務所を辞めたい、東京へ行きたくない」と言ったこともあると、2024年のインタビューで話しています。
顧問の先生が強くて優しくて熱くて本当にカッコよかったので、柔道によって自分もそういう男になりたかった。自分だけみんなと違うのが寂しくて、思い切って坊主頭にしたこともあります(笑)
髪のくせ毛がコンプレックスで、縮毛矯正をしたり丸坊主にしたりしたこともあったといいます。
『独立少年合唱団』で変わった
芸能の仕事に前向きになれなかった渡部豪太さんが変わったのは、中学2年生のときに出た映画『独立少年合唱団』でした。同じ年ごろの子どもたちと作品を作るなかで「居場所ができた」と感じたそうです。
現場ではお互いに支え励まし合い、みんなで一つの作品を作り上げていくという雰囲気があった。それにみなが真剣に自分の表現に取り組んでいて、自分も本気でやろうと初めて思えました。
帰りの特急電車の公衆電話から、お母さんに「僕はこれからもこの仕事をやっていきたい」と伝えたといいます。高校を卒業すると、カナダのバンクーバーに1年間留学しました。地元の先輩にワーキングホリデーのことを教わったのがきっかけで、「両親に頼み込んで1年間留学させてもらうことになりました」と話しています。
実家は新聞販売店?
ネットでは、渡部豪太さんの実家は日立市の「渡部新聞店」ではないかと言われています。
「この前の現場は渡部豪太の実家の目の前でした」という投稿や、「渡部豪太の父が経営する新聞屋で働いていた」という一般の人の投稿が出回っているためです。ただ、本人がお店について話したことはなく、確かなことはわかっていません。
実家はお金持ち?
渡部豪太さんの実家は、裕福だったのではとも言われています。子どものころから習い事に通っていたことや、カナダに留学したことが理由です。
英語との出会いは小学校1年生の時。水泳や書写(ペン字)と同じように母が習い事のひとつとして選んだものだったと思います。小学1年生の私にとって、英語教室は勉強というより、遊びに行っている感じでした。
引用:https://school.jp.yamaha.com/english_school/press/interview-watabe.html
一方で、本人は「両親が共働きで忙しかったんですね」と話していて、お金持ちかどうかがわかる情報はありません。
渡部豪太の父親はどんな人?
父は一般の方
お父さんは芸能界とは関わりのない一般の方で、名前は出ていません。日立市で新聞販売店をしているという噂が根強いものの、渡部豪太さんがお父さんの仕事に触れたことはありません。
父は渡部篤郎?田原俊彦?
ネットでは、お父さんは芸能人ではないかという噂もあります。名前が挙がっているのは、俳優の渡部篤郎さんです。


渡部篤郎さんは1993年にRIKACOさんと結婚し、2005年に離婚しています。名字が同じことから広まった説とみられますが、2人を親子とする話はどこからも出ておらず、デマです。
若いころの顔が似ているとして、田原俊彦さんが父親という説もありました。


田原俊彦さんが結婚したのは1993年です。顔立ちが似ているという以外に親子を示すものは何もなく、こちらも事実ではありません。
渡部豪太の母親は沖縄出身
母は沖縄出身
お母さんは沖縄県の出身です。2023年の日本経済新聞の連載で、渡部豪太さんは「沖縄出身のおおらかで明るい人ですが、喫茶店に1人で入れない人見知りな面もあります」と話しています。
お母さんは元保育士だったとも言われています。
母ちゃんは、僕が生まれてすぐの頃は保育士をしていました。子どもが好きなのに忙しくて、逆に僕の子育てに十分にかかわれませんでした。
Instagramでは、お母さん直伝の沖縄料理「にんじんしりしり」の作り方を紹介していました。
東京に行く口実で芸能事務所へ
渡部豪太さんが芸能界に入ったのは、お母さんがきっかけでした。小学校の卒業が近いある日、入学する中学校の見学に行くはずが、お母さんがこう言い出します。



今日は、東京へ行きましょう
見学に行きたくなかった渡部豪太さんは大喜び。原宿でおもちゃを買ってもらったあと、連れて行かれたのは青山にあるビルの一室で、芸能事務所のオーディションの会場でした。
茨城に引っ越したばかりだったお母さんは東京が恋しく、東京に通う口実がほしかったそうです。本人も2024年のインタビューで「半分ネタみたいになっていますが…どうやら本当です」と認めています。事務所に入ったのは、小学校の卒業間際とも、小学5年生のころとも言われています。
ご両親は、こう考えていたといいます。



すぐに仕事なんて入るはずない。きっかけがないようだったら、やめさせてもいいだろう
ところが仕事は次々に入り、茨城と東京を行き来する生活が始まりました。しばらくすると、1人で特急電車に乗って週1回のレッスンに通うようになったそうです。日本経済新聞の連載では、お母さんは「僕にいろいろな可能性を与えたい」と、芸能を習い事のひとつとして考えていたようだと話していました。
渡部豪太の祖母と弟
おばあちゃん子
両親が共働きで忙しかったため、小さいころの渡部豪太さんは、おばあさんに面倒を見てもらっていました。「青森出身の優しい人でした」と話しています。
おばあさんはビル清掃のパートをしていて、幼い渡部豪太さんを職場に連れて行っては、本を買ってくれたそうです。弟が生まれるまでは、おばあさんを独り占めしていたといいます。「亡くなりましたが、今も大好きです。最近、よく思い出すんですよ」と2024年に話していました。
10歳下の弟
渡部豪太さんには、10歳下の弟さんがいます。2018年の大河ドラマ『西郷どん』のインタビューでは、こう話していました。
僕には吉二郎と信吾の間と同じ10歳下の弟がいるんです。弟が赤ちゃんのころ、僕がミルクをあげて、オシメを替えて、お風呂にも入れて。
引用:https://www.crank-in.net/interview/59459/2
「そんな弟も、今22歳になって働いていますけど、気持ちはあの時のまま」「家族ってすごい。私にとっては”変わらない場所”です」とも語っています。弟さんの運動会に来ていたという噂もありますが、確かな情報はありません。
渡部豪太の妻と子ども
2016年に結婚
渡部豪太さんは2016年6月1日、4歳上の一般の女性と結婚しました。知人の紹介で出会い、3年ほど交際していたそうです。
奥さんはJ-WAVEをよく聴いていて、結婚してからは家のリビングで毎日J-WAVEが流れているのだとか。J-WAVEの番組を担当することが決まったときは、夫婦で「えー!」と声を上げて喜んだそうです。
2021年に長男が誕生
2021年の夏には、第1子の長男が生まれました。Instagramには「この夏、父になりました。日々健やかに成長してゆく我が子に、笑いながら驚きながら、毎日奮闘しています」とつづっています。
2024年12月のインタビューでは「3歳になる息子も初舞台を踏みました」と、浅草公会堂での日本舞踊の発表会に出たことを明かしていました。子育てでは「親の押し付けではなく、その子が自発的に発見することが大事」と考えているそうです。奥さんと息子さんの名前や写真は、2026年10月18日時点で公表されていません。
まとめ
今回は「渡部豪太の両親(父・母)は一般人!実家の兄弟など家族情報も調査!」と題して、渡部豪太さんの家族についてまとめました。
- 実家は茨城県日立市。新聞販売店という噂があるが確かではない
- 父は一般の方。渡部篤郎さんや田原俊彦さんが父親という説はデマ
- 母は沖縄出身。東京に通う口実で、息子を芸能事務所のオーディションに連れて行った
- 共働きの両親に代わり、青森出身の祖母に育てられた
- 10歳下の弟がいる
- 2016年に一般女性と結婚し、2021年に長男が生まれた
以上の内容がわかりました。
それでは、最後までお読みいただきありがとうございました。