A-PLUSに所属している俳優の、高橋文哉(たかはしふみや)さん。
出典:https://www.instagram.com/
そんな高橋さんが、どんな町で生まれ育ったのか・幼い頃はどんな子だったのか、気になっている方は本当に多いですよね。
そこで今回は、高橋文哉は春日部出身で実家はどこ?地元の小学校や子供の頃も調査!
という事で、高橋文哉さんの出身地から子供時代・学生時代までを、まるごとまとめてみました!
高橋文哉の実家は春日部市!
髙橋文哉さんが、いったいどんな土地で生まれ育ったのか、ファンとしては気になるところですよね。
という事で、まずは髙橋文哉さんの地元について深掘りしてみました!
高橋文哉の出身地は埼玉県春日部市!
高橋文哉さんの出身地は、埼玉県春日部市だと公表されています。
あるインタビューで地元の自慢を聞かれた際、高橋さんは次のように語っていました。
埼玉なんですけど、都会にアクセスしやすいところ。地元の名物は桐たんすと、クレヨンしんちゃん!
引用:NEWS ポストセブン(https://www.news-postseven.com/)
と、地元愛たっぷりに答えていたんです。
国民的アニメ『クレヨンしんちゃん』の舞台が春日部市だというのは、もはや誰もが知っている話ですよね!
それもそのはず、春日部市の街なかにはクレヨンしんちゃん関連のものがあちこちにあふれているんです。
春日部駅のホームにしんちゃんが描かれているのを見ると、「ああ、本当にここがあの街なんだ」と実感しますよね!
ほかにも市内には銅像が立っていたり、走るバスの車体にしんちゃんが描かれていたりと、街じゅうがクレヨンしんちゃん一色といった様子なんだとか。
もう一つ挙げていた桐たんすについては、『春日部桐箪笥』という伝統工芸品がきちんと存在していました。
この桐箪笥は昔から春日部市の周辺で作り続けられてきたもので、桐ならではの上品な木目を生かした仕上がりが今も高く評価されているそうです。
こうした高橋さん本人の発言と、街の名物の数々を照らし合わせれば、実家が春日部市にあるのはまず間違いなさそうですね!
髙橋文哉の実家の場所は!?
出身地が春日部市なのはほぼ確定として、では具体的に実家はどのあたりにあるのか、というのが次に気になるポイントですよね。
あれこれ調べてみたものの、実家の詳細な住所まではやはり公表されていませんでした。
これだけ人気の高橋さんの自宅が特定されてしまったら、ファンが押し寄せて近隣の方が困ってしまいますから、伏せられているのは当然とも言えますね…
そこで一つの手がかりになりそうなのが、高橋文哉さんの出身中学が春日部市立豊野中学校ではないか、というネット上の声です。
そこで、春日部市立豊野中学校の学区にあたるエリアを調べてみました。
- 赤沼
- 調子口
- 藤塚
- 六軒町
- 本田町
- 豊野町
これらのエリアに自宅があると、春日部市立豊野中学校に通うことになるようです。
つまり高橋文哉さんの実家も、このどれかのエリアにある可能性が考えられるわけですね。
とはいえ、高橋さん自身が「豊野中学校に通っていた」とハッキリ語っているわけではないので、あくまで確証のないネットの噂話の域を出ない、という点は押さえておきたいですね。
かつてのファンレターの受け取り先が春日部市内の郵便局!
実はかつて、高橋文哉さん宛てのファンレターの送り先として、『庄和米島郵便局』が案内されていた時期があったようなんです。
時期としては2017年頃ですから、高橋さんが芸能の世界に入ったばかりの頃の宛先という事になりますね。
この郵便局があるのは、埼玉県春日部市米島1133-51。
【庄和米島郵便局】
郵便局留めは普通いちばん近い郵便局を使うものですから、高橋文哉さんの実家がこの近辺にあった可能性も考えられそうです。
事務所に入りたての頃で、まだ知名度もこれからという時期ですから、こうした受け取りを高橋さんやご家族で対応していたのかもしれませんね!
ただ、この『米島』という住所は、高橋さんが通ったとされる春日部市立豊野中学校の学区からは外れてしまうんですよね…
そこで鍵になりそうなのが、続いてご紹介する「お母さんが営んでいたお弁当屋さん」の存在です!
高橋文哉の母親が営んでいたお弁当屋さんの近所!?
高橋文哉さんのお母さんは『おかんのごはん でぶや』というお弁当屋さんを経営していました。
地元の人たちにかわいがられた、温かい雰囲気のお店だったようですよ。
お店自体は2018年いっぱいで閉店してしまったようですが、念のため当時の所在地を調べてみました。
『おかんのごはん でぶや』があった場所は春日部市米島979のようです。
すると地図で確認したところ、このお店が先ほどのファンレターの送り先『庄和米島郵便局』のすぐ近くだった事が判明しました!
ここから推測できるのは、庄和米島郵便局留めでファンレターを案内していた2017年は『おかんのごはん でぶや』がまだ営業中だったので、お母さんが店の合間に郵便局へ受け取りに行っていたのではないか、という流れです。
そう考えると、ファンレターの宛先が実家のありそうな豊野中学校エリアの郵便局でなかったとしても、ちゃんと辻褄が合ってきますよね!
いずれにしても、ここまでの話はあくまで確証のないネットの噂話をもとにした推測ですので、鵜呑みにはせず、新しい情報が分かり次第あらためてお伝えしますね!

高橋文哉の子供の頃は?
高橋文哉さんが幼い頃、いったいどんな少年だったのか、これもぜひ知りたいところですよね。
「どんな子供でしたか?」という問いに、高橋さんはこう振り返っています。
「泣き虫、負けず嫌い、うるさい」ですかね。僕は小さい時から異質と言われていて、それは大きくなった今も言われています(笑)。
引用:モデルプレス(https://mdpr.jp/interview/)
と語っていました。
この一言だけでも、かなりエネルギッシュな少年時代だったんだろうなと想像できますよね!
幼稚園時代の髙橋文哉
高橋文哉さんは、自分のいちばん古い記憶は幼稚園の頃のものだと明かしています。
幼稚園の年長の頃、体育館で寝てたこと。兄がバレーボールを習っている体育館によく連れて行かれて、ボールがバウンドする音がいつも子守歌でした。
引用:NEWS ポストセブン(https://www.news-postseven.com)
高橋文哉さんは3人兄弟の末っ子だそうなので、小さい頃は2人のお兄さんにずいぶんかわいがられていたんでしょうね!
高橋文哉さんのご兄弟についての詳細な情報はこちら

ほかにも、朝顔を毎日せっせと世話していた、なんていう微笑ましい思い出もあるそうですよ。
今の物腰のやわらかい人柄にもつながっていそうで、幼い頃の高橋文哉さんの姿がなんだか目に浮かんできますね!
子供の頃の夢は郵便配達員!
高橋文哉さんは小さい頃、将来は郵便配達員になりたいと夢見ていたらしいんです。
配達の赤いバイクに憧れていて、兄から「お前は珍しいな」って言われてました。
引用:NEWS ポストセブン(https://www.news-postseven.com/)
幼い高橋さんはとにかく赤色が大好きだったそうで、身の回りの持ち物も赤いものでそろえていたんだとか。
「赤が好きだから郵便配達員になりたい」という弟は、お兄さんから見れば確かにちょっと変わって映ったかもしれませんね!笑
幼い頃は病弱だった
幼少期の高橋文哉さんは終始やんちゃで元気な少年…と思いきや、実はそうとも言い切れないようなんです。
なんでも生まれてすぐの頃は高熱に苦しんでいたそうで、
集中治療室にずっといました
引用:モデルプレス(https://mdpr.jp/news/detail/)
と明かしています。
その後も高校生になる頃まで、体温の調節がうまくいかない体質に悩まされていたみたいなんです。
つまり、ただ元気いっぱいだっただけでなく、弱い体と向き合いながら過ごした子供時代でもあったようですね。
高橋文哉が通っていた地元の学校は?
続いて、高橋文哉さんが地元で通っていた小学校についても調べてみました。
ただ、こちらも今のところ高橋さんの出身小学校は公表されていないのが実情です。
候補としてネット上で名前が挙がっているのが、春日部市立桜川小学校と春日部市立南桜井小学校のどちらかではないか、という確証のないネットの噂話です。
【高橋文哉の出身小学校と噂の桜川小と南桜井小】
この2校は場所も近く、お母さんのお店『おかんのごはん でぶや』があったエリアからだと、確かに通いやすそうな立地ではありますね!
さらに、もう一つ春日部市立豊野小学校も候補に入りそうな気がします。
というのも、この豊野小学校は高橋文哉さんの出身と噂される春日部市立豊野中学校のすぐ近くにあるからです。
小学校の卒業を機に引っ越しでもしない限り、中学は同じ学区の学校へ進むのが普通ですからね。
ですので高橋文哉さんが通っていた小学校は、
- 春日部市立桜川小学校
- 春日部市立南桜井小学校
- 春日部市立豊野小学校
のいずれかではないかと考えられますが、はっきりした裏付けは何一つ見つかっていないため、あくまで予想の段階にとどまります。ただ、確証のある情報ではないので、あくまでも噂話程度に受け止めておくのが良さそうですね。
なお、高橋文哉さんの高校時代については、進学先がはっきり分かっています(後ほど詳しくご紹介しますね)。
それではここからは、高橋文哉さんの小学生時代を具体的に見ていきましょう。
髙橋文哉の小学生時代のエピソード
高橋文哉さんが、どんな小学生時代を送っていたのかを掘り下げてみました。
2020年4月16日、髙橋さんは自身のTwitter(現X)で、10年前の写真を公開しています。
2020年4月時点では高橋文哉さんは19歳ですので、その10年前だと9歳、つまりこの画像は小学3年生か4年生の頃の高橋さんの姿という事だとわかります。
小学生の段階ですでに端正な顔立ちなのがよく分かりますから、この頃からきっとクラスの人気者だったに違いありませんね!
小学4年生の頃、料理に目覚める
今や料理上手としても有名な高橋文哉さんですが、その原点はなんと小学4年生の頃にあったらしいんです。
料理を初めて作ったのは、小学校4年生のとき。お母さんの誕生日にハンバーグを作りました。
結局は作ってもらったようなものでしたけど(笑)。できあがったハンバーグを食べたお母さんが、笑顔で「ありがとう。おいしい」って言ってくれたとき、心の中で何かが決まったんです。
引用:よみタイ(https://yomitai.jp/)
誕生日に手料理でお祝いしようと考えるなんて、料理の腕に覚えのあるお母さんにとっても、さぞ嬉しい出来事だったでしょうね!
そのとき素直に褒めてもらえた経験から、高橋さんは将来は料理人になりたいと思うようになったそうなんです。
身近な人の喜ぶ顔を見て将来の夢を思い描くあたり、やはり根っから優しい子供だったんだなと感じますね。
しかも小学生の高橋さんは、翌年のクリスマスには包丁を、その次の年にはフライパンをサンタさんにおねだりしたんだとか。
クリスマスプレゼントに調理器具をリクエストする小学生なんて、なかなか聞きませんよね。
サンタさん役のご家族も、あまりの渋い希望にきっと驚いたのではないでしょうか。笑
小学生の頃にバレーボールを始める
高橋文哉さんは幼い頃から運動神経が抜群で、小学1年生のときにはもうバレーボールを始めていたそうなんです。
もとはお兄さんがバレーボールをしていて、そのチームの監督から「お前も入れ」と声をかけられたのがきっかけだったんだとか。
おそらく監督が高橋さんの運動センスをひと目で見抜いて勧誘した、という事なんでしょうね。
ところが、そうして続けてきたバレーボールを、高橋さんは5年生のときにいったん辞めてしまったそうなんです。
野球をやってみたかったというのが理由だったそうですが、後になって高橋さんはこの選択を悔やんでいます。
あるインタビューで「人生で後悔している事は?」と尋ねられた際にも、
いっぱいあるなぁ……。小5で一度、バレーを辞めたこと。
引用:NEWS ポストセブン(https://www.news-postseven.com)
と振り返っており、大人になった今でも忘れられないほど心残りに感じているようですね。
高橋さんは中学に進むとふたたびバレーボール部に入っているので、「あのまま続けていればもっと上達していたはず」という思いがあるのかもしれませんね。
小学生の頃から自分のサインを考えていた
今や大人気俳優としてサインを求められる機会も多い高橋文哉さんですが、なんと小学生の頃にはもう、自分だけのサインを考えていたらしいんです!
小学生の頃からサインを書くのに憧れていて、いっぱい考えていたんです。授業中にもサインを練習したり。
引用:NEWS ポストセブン(https://www.news-postseven.com)
授業中にこっそりやっているつもりでも、教卓の先生からはたいてい丸見えだったりするんですよね。笑
とはいえ当時は、まさか自分が本当にサインを求められる仕事に就くなんて、夢にも思っていなかったでしょうね!
今の高橋さんはサインを何度かリニューアルしているようですが、もしかすると小学生の頃にあれこれ考えた中から、今も使っているデザインがあるのかもしれませんね!
高校は調理師免許の取れる『野田鎌田学園』!
小学生時代に料理の楽しさに目覚めた高橋文哉さんは、その夢をまっすぐ進路にも反映させています。
高橋さんが進学した高校は、千葉県野田市にある『野田鎌田学園高等専修学校』の調理高等科で、2019年3月に卒業しています。
この学校は通信制のあずさ第一高等学校と技能連携しているため、高校卒業の資格を得ながら、同時に調理師免許まで取得できるのが大きな特徴なんです。
つまり高橋文哉さんは、もともと俳優ではなく料理人になることを目指して高校を選んでいたという事になりますね。
小学4年生でお母さんに手料理を振る舞った思い出が、ちゃんと高校進学にまでつながっていたと思うと、なんだか胸が熱くなりますよね!
まとめ
今回は、高橋文哉さんの地元や子供の頃、そして学生時代についてまとめてみました!
まとめ
- 高橋文哉の実家は埼玉県春日部市にあり、以前は同じ市内に母親のお店もあった
- 高橋文哉は元気いっぱいな一方で病弱な面もある子供時代を過ごした
- 高橋文哉の通っていた小学校は現在のところ不明(桜川小・南桜井小・豊野小が噂レベルの候補)。その頃始めたバレーボールの思い出が強く残っている
- 高校は調理師免許の取れる野田鎌田学園高等専修学校(調理高等科)に進学し、もともとは料理人を目指していた
元気いっぱいな一方で、子供の頃は少し体が弱かったという一面もあった高橋文哉さん。
これからますます活躍の場が広がっていくと思いますので、体調にだけは気をつけて頑張ってほしいですね!
最後までお読みいただき、ありがとうございました!








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