鈴鹿央士の実家は岡山のどこ?昔の画像や幼少期など地元時代も調査!

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ファッション誌「MEN’S NON-NO」の専属モデルを務めながら、俳優としても確かな存在感を放つ鈴鹿央士(すずか おうじ)さん。

俳優の鈴鹿央士

2019年公開のデビュー作『蜜蜂と遠雷』で数々の新人賞を受賞し、一躍脚光を浴びた演技派俳優です。

そんな鈴鹿央士さんについて、実家は岡山のどこなのか、昔の画像や幼少期の様子、地元での過ごし方など、生まれ育った環境を中心にまとめてみました。

それでは、さっそく見ていきましょう。

鈴鹿央士の実家は岡山のどこ?

鈴鹿央士さんが岡山県の出身であることは、公式プロフィールにもはっきりと記載されています。

ただ、県内のどの市町村なのかという細かい部分までは、公式には明かされていないのです。

では実際のところ、鈴鹿央士さんの実家は岡山のどのあたりにあるのでしょうか。手がかりとなるエピソードを順に見ていきましょう。

自然が豊かな田舎

「都会派か、それとも田舎派か?」と問われれば、迷わず田舎派と答えるという鈴鹿央士さん。

ご自身の実家も自然に恵まれた田舎にあると、これまで数々のインタビューで語っています。

山や田んぼに囲まれた環境で育ったそうで、夜になると布団に入っている時にコオロギやカエルといった生き物の声が庭から聞こえてくるのだとか。

僕は実家の真裏に山があるような田舎で育ったので、上京したての頃は建物に囲まれた東京での生活になかなか慣れなくて…。

岡山にいる時はコンビニに行くだけでも、その道中に畑や田んぼ、川があって季節が変わるごとに木や花を見ては「あ、もうこれくらい育っているんだな」と感じていたんです。

ただコンビニに行くだけでも良い散歩だったんだな〜と、今になって思いますね…。

引用:TV Bros. WEBインタビュー(https://tvbros.jp)

田畑や川が広がる、のどかな田舎の風景が目に浮かんできますね。

鈴鹿央士さん自身も、「自然に囲まれた田舎で育って本当に良かった」と感じているそうですよ。

実家は岡山市内?

田舎で育ったという話から、てっきり郊外の出身かと思いきや、実家は岡山市内にあるという情報を数多く目にします。

あくまで噂の域を出ない話ではありますが、本当かどうか詳しく調べてみました。

今では記事自体が削除されているようなのですが、地元紙の山陽新聞ではかつて、鈴鹿央士さんを「岡山市出身」と紹介していたという話があります。

地元に根ざした新聞社だけに、しっかりした裏付けをもとに書いていた可能性は十分にありそうですよね。

また、鈴鹿央士さんの出身校は、岡山市東区にある岡山県立西大寺高校だと言われています。

鈴鹿央士さんといえば、高校時代に映画『先生!、、、好きになってもいいですか?』のロケへエキストラとして参加した際、主演を務めていた広瀬すずさんの目に留まり、そのままスカウトされたという逸話があまりにも有名ですよね。

この映画のロケ地となったのが、西大寺高校と岡山学芸館高校という岡山県内の2校でした。

そして鈴鹿央士さんが「県立高校に通っていた」と話していたことから、私立の岡山学芸館高校ではなく、県立の西大寺高校だろうと絞り込まれたわけです。

2歳上の兄の影響で、同じ県立高校に進み、同じバドミントン部に入りました。

自転車通学で、部活後は友達とコンビニで唐揚げを買い食いして、たわいもない話で盛り上がっていました。

引用:朝日新聞デジタル(https://www.asahi.com/)

高校へは自転車で通学していたと語る鈴鹿央士さん。

自転車で通えるくらいですから、実家から高校まではそれほど離れていなかったと考えられますね。

そう考えると、鈴鹿央士さんの実家は西大寺高校のある岡山市東区の周辺にあるのかもしれないですね。

鈴鹿央士の幼少期の顔画像はある?

続いて、鈴鹿央士さんの幼少期の顔画像は残っているのでしょうか。

調べてみると、MEN’S NON-NO WEBの特集の中にいくつか掲載されていましたので、順番にご紹介していきます。

まずは1枚目がこちら。

俳優の鈴鹿央士の幼少期
出典:https://www.mensnonno.jp

まだとても小さくて、なんとも可愛らしいですね。

今と変わらず色白で、ぱっちりとした大きな瞳が印象的なので、鈴鹿央士さんだとひと目でわかります。

この写真はお祭りへ出かけるときの装いなんだそうです。

幼い頃は、夏になると家族で祖父母の家へ帰省し、だんじり祭に出かけるのが恒例だったのだとか。

家族みんなで並んで打ち上げ花火を眺めたり、線香花火を楽しんだりしていたそうですよ。

母方の祖父母の家が海の近くで、家の前に寝られる椅子を並べて、みんなで打ち上げ花火を見たことが良い夏の思い出だったなと。

蚊取り線香を焚いて、手持ち花火もして…という時間がとっても楽しかったです。

引用:WEB ザテレビジョン(https://thetv.jp/)

なんとも心温まる、素敵な夏の思い出ですよね。

続いて2枚目の画像がこちら。

俳優の鈴鹿央士の幼少期
出典:https://www.mensnonno.jp

こちらは14歳の頃の写真とのことですが、もう少し幼いようにも見えますね。

この時点で、すでに端正な顔立ちが完成されていますね。

ちなみに鈴鹿央士さんは子どもの頃、「こんにゃくになりたい」と口にしていたのだとか。

「ふにゃふにゃしていて、なんだかいい」と感じていたそうです。

もしかすると、少しばかり個性的な幼少期を送っていたのかもしれませんね。

以上、鈴鹿央士さんの幼少期の顔画像をご紹介してきました。

子どもの頃から大きな瞳をした、整った顔立ちの少年だったことがよくわかりますね。

鈴鹿央士の幼少期のエピソードは?

ここまでにもいくつか触れてきましたが、鈴鹿央士さんには他にも興味深い幼少期のエピソードがありましたので、順番にご紹介していきます。

怪我が多かった幼少期

鈴鹿央士さんは幼少期、とにかくよく怪我をする子どもだったんだそうです。

子どもの頃の思い出を尋ねられた際、インタビューで次のように振り返っています。

実家のリビングに四角の机があるんですけど、小さいときによくお兄ちゃんとケンカをして僕は逃げる側で、転んじゃって机の角に顔をぶつけて、今でも眉毛がハゲているんですけど。

そういう怪我があったり、お兄ちゃんも階段から転げ落ちちゃったりして、すごい怪我常習犯な子ども2人だったなと、今思いました。(笑)

引用:モデルプレスインタビュー(https://mdpr.jp)

怪我で病院に行った帰り道に、もう一度怪我をしてそのまま病院へ逆戻り…なんてこともあったのだとか。

1日に2度も病院のお世話になるとは、相当やんちゃな子ども時代を送っていたのかもしれませんね。

口裂け女が苦手だった

鈴鹿央士さんは子どもの頃、口裂け女がとても苦手だったんだそうです。

大人になった今でもその顔が頭から離れず、ふとした拍子に思い出してしまうんだとか。

それでいて怖い話を聞くこと自体は好きなようで、寝る前にYouTubeで視聴することもあるようですよ。

口裂け女が苦手になったきっかけまでは明かされていませんが、何かしらのトラウマがあるのかもしれませんね。

それにしても、口裂け女を怖がる幼い頃の鈴鹿央士さんを思い浮かべると、なんだか微笑ましく感じてしまいますね。

運動とゲームが好きな少年

鈴鹿央士さんは子どもの頃、体を動かすのが好きな一方で、ゲームにもかなり夢中になっていた様子

友達と公園を駆け回ったかと思えば、家ではポケモンや遊戯王といったゲームに熱中したりと、よく遊んでいたそうです。

さらに、小学生のときには空手と体操をそれぞれ3年ずつ習っていたそうで、その影響か今でも体の柔らかさが自慢なんだとか。

当時夢中だったポケモンについては、こんな面白いエピソードも明かしています。

都市伝説に入るのかはわからないけれど、「ポケモンおじさん」と呼ばれている人がいました。

学校の近くの公園に出没するのですが、強いポケモンをたくさん持っていて、仲良くなるとポケモンがもらえたり、交換してもらえたりするという噂があって。

僕も2、3匹、ほしかったポケモンと交換してもらいました。

引用:Yahoo!ニュース(https://news.yahoo.co.jp)

まるで作り話のようで、思わず笑ってしまいますよね。

鈴鹿央士さんの幼少期のエピソードは、どれも心が和むものばかりで、ますます応援したくなりますね。

まとめ

今回は、鈴鹿央士さんの実家や地元、そして幼少期の画像やエピソードについてご紹介してきました。

  • 鈴鹿央士さんの実家は、岡山県(岡山市内とみられる)の自然に囲まれた田舎。
  • 幼少期の顔画像は、今と変わらず瞳が大きくて整った顔立ち。
  • 幼少期は、怪我が絶えないやんちゃな子どもだった。
  • 出身は岡山市東区の岡山県立西大寺高校で、高校時代に広瀬すずにスカウトされ芸能界入りした。

これからも、俳優として活躍の場を広げる鈴鹿央士さんを応援していきたいですね。

最後までご覧いただき、ありがとうございました。

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