時代劇の重鎮として活躍している里見浩太朗(さとみこうたろう)さん。
出典:https://www.sankei.com/article/20240317-5UAAXZ426RFWTNXNYWUOWUS3Q4/?outputType=theme_tvnavi
誰もが知る「水戸黄門」や「長七郎江戸日記」などに出演、「ミスター時代劇」と異名を持ち、現在も第一線で活躍されている時代劇スターです。
そんな里見浩太朗さんの実家やお父さん、お母さんはどんな方達なんでしょうか?
今回は里見浩太朗の家系図が凄い?軍人の父に母や兄弟など家族情報もまとめた!
という事で、里見浩太朗さんの実家や両親、兄弟姉妹など家族についての情報を調べました。
目次
里見浩太朗とはどんな人?
- 本名は佐野邦俊(さのくにとし)
- 1936年11月28日生まれ
- 東京都渋谷区道玄坂出身
- 育ちは静岡県富士宮市
東京都渋谷区道玄坂出身の里見さんは、生後10ヶ月の時に父を亡くし母の実家がある静岡県富士宮市で育ちます。
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静岡県富士宮市は県東部に位置し、世界文化遺産である富士山を有した自然豊かな市です。
そんな富士宮市で静岡県立富士宮北高等学校に通っていた里見さん。
中学時代はテニス部に所属していたそうですが、高校では音楽部に所属していました。
高校卒業間近に地元で行われた「NHKのど自慢」に出場し、伊藤久男さんの「山のけむり」を熱唱し予選合格。

この合格が芸能生活への原点である
里見さんは後年、このように語っていたそうです。
里見さんは1979年、「長七郎天下ご免!」の主題歌「風は知らない」でレコードデビューも果たしており、1995年には「花冷え」という曲がヒットしました。
元々は歌手を目指していたそうですから、その歌声は確かなものです。
80歳を超えてなお精力的に活動されている里見さん。
今後の芸能界での活躍も楽しみですね。
俳優としてのデビューはいたずらのおかげ!?
1956年、第3期東映ニューフェイスに合格し、俳優への道を歩み始めた里見浩太朗さん。
出典︰https://www.5lweb.jp/
里見さんは元々歌手を目指しており、レコードデビューにも内定していました。
しかし知り合いの娘さんがいたずらであの東映に応募書類を送ってしまっていたのだとか。



佐野君は歌手になろうとしているけど、二枚目だから、私がいたずらで東映に応募したの
里見さんに対する夢や、恋愛感情があったのだとか。
そんなことを言われてしまっては怒るに怒れませんよね⋯。
結果的に1956年、第3期東映ニューフェイスに合格した里見さんは東映に入社しました。
余談ですが里見さんのレコードデビュー、内定していたものの里見さんには知らされていなかったそうです。
当時は内定しても録音ができるまでリリースされるかどうかわからない時代だったのだとか。
日本コロムビアの作曲家が、僕が俳優になったのち、京都の撮影所に来て悔しそうに言いました。(中略)「確定してから話そうと思っていたら、きみは俳優になってしまった。ああ、本当に悔しいよ」
引用:https://web.archive.org/web/20200525112505/https://www.5lweb.jp/info.php?type=article&id=A0000041&detail=true
もしこの時にレコードデビューが果たされていたら、里見さんはどんな芸能生活を送っていたのでしょうか。
きっとそうなっても素晴らしいご活躍をされていたのではないかと思います。
想像してみるのも楽しいですね。
里見浩太朗の実家のご家族はどんな人?
里見浩太朗さんの実家のご家族についても調べました!
里見浩太朗の父親は帝国陸軍所属だった!
- 父親の名前は佐野亀一
- 山梨県南部町井出出身で12人兄弟の末っ子
里見さんの父親は19歳で近衛兵に志願。
帝国陸軍の麹町憲兵隊に転属したあと、神田の喫茶店で働いていた木伏エツさんと結婚されました。
「トーストとコーヒー目当てに通っていた憲兵の父に見初められた」のだそうです。
きっととてもお美しい方なのでしょうね。
お二人の結婚には一つ、驚きの話があります。
それが結婚の話が出たときに戸籍を調べたら、なんと従兄弟同士だということが分かったらしく、まあいいじゃないと結婚したようです。
引用:https://www2.nhk.or.jp/archives/articles/?id=D0009123755_00000
縁とはとても不思議なものですね。
その後父親は里見さんが生後10ヶ月の時、盧溝橋事件にて戦没。
父親は支那駐屯憲兵隊に臨時増加配属を命じられ、その年の9月に中国大陸山西省の小塞村で亡くなったとのことです。
当時の新聞では英雄とされ、「佐野亀一准尉、割腹」と書かれていたといいます。
出典:https://www2.nhk.or.jp/archives/articles/?id=D0009123755_00000
しかし、のちに同じ部隊にいた仲間によると「負傷しながらも反撃しようとしたところ手榴弾を受けて亡くなった」との報告が上がったそうです。
まだ赤ん坊だった里見さんには父親の記憶はなく、この報告を聞いても涙が出ることはなかったのだとか。
記憶はなくとも父親の死の真相が知れたことは良かったのではないでしょうか。
最後に、盧溝橋事件について下記に簡単にまとめてありますのでよければご覧ください。
盧溝橋事件とは
1937年7月7日、北京郊外の盧溝橋付近で夜間演習中だった日本軍に向けて実弾が放たれたことにより、日本軍と中国軍が衝突。日本政府は自衛権の発動を口実に陸海軍を増派したが、宣戦布告が行われることはなかった。当時の日本と中国の関係は最悪の状態だったとも言われており、今まで限定的だった日中の争いはお互いに全面戦争へと舵を切るきっかけとなった。これにより後に8年にも及ぶ日中戦争へと進んで行くことになる。
里見浩太朗の母親は一人で息子二人を育て上げた
- 母親の名前は佐野エツ
- 静岡県富士宮市出身
里見さんの母親エツさんは、夫の死後、静岡県富士宮市にある実家を頼り子供二人を育て上げたといいます。
戦時中は亀一さんが戦死したことにより恩給を受け取りながら、それでは足りないからと縫物の内職をされていたそうです。
しかし恩給も戦争が終わると打ち切りに。
そこからは古着の行商などを行っていたといいます。
里見さんは母親についてこのように語っています。



子ども時代から背がすらっとしていて美人の母を自慢に思っていました
やはりお美しい方だったのですね。
すでに亡くなられており、以前里見さんが広島のイベントに呼ばれた際には、自身の曲「母を慕いて」を歌ったといいます。
親孝行のつもりで、「苦労しながら片親で育ててくれた母にも届いていればいいな」と思いながら歌ったのだとか。
母親への思い、きっと届いていることでしょう。
里見浩太朗の兄は一般人
- 里見浩太朗の兄の名前は要
- 里見浩太朗の5歳年上
里見さんの兄・要さんは現在も静岡県富士宮市で暮らしているとのこと。
祖母も母も長生きで、長寿の家系だと里見さんは語っています。
里見さんは現在88歳、兄は93歳でまだ健在とのことですから、いつまでも元気で日々を過ごされてほしいですね。
里見浩太朗の家系図
里見浩太朗さんの家系図について調べてみました!
現在の妻、一親等の方々から順にみていきましょう!
妻・信子さん
1976年、信子さんは初婚、里見さんは2度目の結婚をしました。
年齢は里見さんの13歳下で、元パンアメリカン航空の客室乗務員という経歴をお持ちです。
里見さんは信子さんから「子供みたいな扱いを受ける」と苦笑しながらもこのように語っています。
何かどこか、欠点を探そうとする、それが家内のクセというか。ネクタイが曲がってたよとか。(衣装の)コーディネーターは全部家内です。本当に幸せです
引用:https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2022/10/12/kiji/20221012s00041000390000c.html#:~:text=俳優の里見浩太朗(85,妻と再婚した里見。
とても仲睦まじい様子が伝わってきますね!
また信子さんは料理の腕が最高なのだといいます。
なかでもローストビーフはどこに行っても食べることができないほど高いレベルなのだとか!
どれだけ美味しいのか食べてみたいですね!
そんな信子さんは、なんと元レスリング選手・風間栄一さんの娘。
風間さんはベルリンオリンピック日本代表としても活躍されていました。
信子さんご本人も輝かしい経歴をお持ちですが、父親の職業にも驚きですね。
一親等(父母・子供)
- 佐野亀一
- 佐野エツ
- 佐野圭亮(さのけいすけ)
佐野亀一・佐野エツ
里見さんの実のご両親です。
佐野圭亮
里見さんの実子であり長男にあたる方です。
出典:http://www.actrain-club.com/sp/talents/?id=1467554554-297169
里見さんは2度結婚されており、圭介さんは最初の妻・巳智子さんとの間に生まれたお子様です。
1967年10月15日生まれで京都府京都市出身です。
父の影響から俳優を目指すも、猛反対を受けたといいます。
しかし意志は固く、その後俳優の道へ。
現在は時代劇から現代劇まで幅広いジャンルの芝居をされており、父・里見浩太朗さんと共演も果たされています。
2006年には女優のおおたにまいこさんとご結婚されています。
父の里見浩太朗さんのように、長きにわたり芸能界で活躍してほしいですね。
二親等(祖父母・兄弟姉妹・孫)
- 佐野勝三郎(さのかつさぶろう)
- 佐野要
佐野勝三郎
佐野勝三郎さんは、里見さんの父方の祖父にあたる方です。
山梨県南部町井出で農業や林業、塩の販売などを手掛けていた村の名士だといいます。
村で1,2を争うほどのお金持ちだったそうですよ。
特に塩の販売については、当時は国の専売事業だったといいます。
村での立場だけでなく、国からも信用を得ることができていたというのはすごいことですね。
佐野要
里見さんの実兄のあたる方です。
三親等(叔父)
- 佐野浅夫(さのあさお)
佐野浅夫
NHKで人気の「水戸黄門」、三代目を演じた方です。
出典︰https://grapee.jp/1149479
本名は佐野浅雄(さのあさお)、残念ながら2022年6月28日に亡くなられています。
里見さんの母親と佐野浅夫さんが従兄妹であり、里見さんの叔父にあたる方です。
里見さんは中学生の頃に母親と見た、「きけ、わだつみの声」という映画での浅夫さんの演技を今でも思い出すといいます。
浅夫さんは3代目の水戸黄門を、里見さんは5代目の水戸黄門を演じているということもあり、「俺は俺、お前はお前だから」「頑張れよ」などと声をかけてもらったといいます。
芝居に関しては厳しかったとのこと、里見さんは浅夫さんから学んだことも多かったのではないかと思います。
もう少し、叔父と甥が共演する姿を拝見したかったですね。
初代・佐野光次
最後に里見浩太朗さんの父方・佐野家の先祖、初代・佐野光次さんについて調べてみました。
佐野光次さんは戦国時代、武田信虎に仕えた武将の一人です。
代々武田家の家臣として仕えていたのだといいます。
武田家といえば山梨県を中心に大きな勢力を持っており、特に武田信玄は「甲斐の虎」とも呼ばれ、現代でも有名な戦国武将の一人です。
そしてその武田信玄の父親こそが武田信虎なのです。
佐野家は武田信虎が主君の頃から仕えていたそうですから、あの武田信玄にも家臣として支えていたのでしょうね。
こうした有名な武将の祖先である里見さんが、時代劇のスターとして活躍されているのはなんとも言えない運命を感じますね。
以上、里見浩太朗さんの家系図についてでした。
ご本人の家系だけでなく、妻や親戚に至るまで大物揃いといった感じですね!
今後も一族の皆さんの活躍が楽しみです。
まとめ
今回は里見浩太朗の家系図が凄い?軍人の父に母や兄弟など家族情報もまとめた!
という事で、里見浩太朗さんの実家や両親(父・母)、兄弟姉妹など家族についての記事をお届けしました。
- 里見浩太朗は元々歌手としてデビュー予定だった
- 里見浩太朗の実家は山梨県富士宮市、父が若くして亡くなり母子家庭で育った
- 里見浩太朗の先祖は武田家に代々使える武将だった
以上の内容がわかりました。
それでは、最後までお読みいただきありがとうございました。