ウェブ制作会社「ジェミー」の代表、二千翔(にちか)さん。

女優・大竹しのぶさんの長男で、オーディション情報サイト『narrow(ナロー)』の立ち上げにも携わり、2025年6月に結婚発表され話題となりました。
そんな二千翔さんの実家やお父さん、お母さんはどんな方達なんでしょうか?
今回は二千翔の父親はさんまじゃなくて服部晴治!大竹しのぶとの馴れ初めも調査!
という事で、二千翔さんの実家や両親、兄弟姉妹など家族についての情報を調べました。
目次
二千翔の父親はさんまではない!
二千翔さんの父親について、調べてみました。
二千翔の父親は、元TBSディレクターの服部晴治
二千翔の父親は元TBSディレクターの服部晴治
二千翔さんの父親は、明石家さんまさんではなく、元TBSディレクターの服部晴治さん です。
こちらが服部晴治さんと、赤ちゃんの頃の二千翔さん。

目鼻立ちがはっきりとした男前さんですね。またベビー二千翔さんが可愛い!!
母は女優の大竹しのぶさんです。

飾らずおっとりとした口調で、笑顔の絶えない女優さんですね。
二千翔さんは大竹しのぶさんと服部晴治さんとの間に生まれた長男で、1985年に誕生しました。
芸能界に詳しくない方は「明石家さんまさんの子ども?」と誤解しがちですが、実際は違います。
大竹しのぶさんは後に明石家さんまさんと再婚し、娘のIMALUさんを授かっています。
つまり、二千翔さんにとって明石家さんまさんは義理の父にあたる存在 ということになります。
家系図を見ると以下の通り。

二千翔さんとIMALUさんとは異父妹ということになりますね。
それでは実父・服部晴治さんはどんな人だったのでしょうか。
服部晴治は敏腕のディレクターでモテ男だった
服部晴治は、敏腕ディレクターでモテ男だった
服部晴治さんは、TBSで数々の名作ドラマを手がけたディレクター兼プロデューサーでした。
代表作には「寺内貫太郎一家」「時間ですよ」「恋人たち」など、昭和を彩るドラマが並びます。
仕事に対する姿勢は真面目で情熱的だったとされ、芸能界からの信頼も厚かったそう。
大竹しのぶさんやその他の共演者からも人間性や仕事ぶりを高く評価されていました。
まさしく敏腕ディレクターだったようです。
当時は「業界きってのモテ男」とも言われ、3度の結婚歴があります。
大竹しのぶさんとの結婚前の2回の婚姻では、計3人の子宝に恵まれており、モテ男っぷりがわかりますね。
そんなモテ男さんと大竹しのぶさんの馴れ初めはどんなものだったのでしょうか。
二千翔の父・服部晴治と大竹しのぶの馴れ初めは?
二千翔さんの両親の馴れ初めなど調べてみました。
出会いはドラマの現場から
二千翔の両親は、職場恋愛!略奪愛からの結婚だった。
2人が出会ったのは、大竹しのぶさん(当時23歳)が出演していたドラマ 『恋人たち』 の現場でした。

その作品の演出を担当していたのが、TBSのディレクターである服部晴治さん(当時40歳前後)。
女優と演出家という立場から次第に距離を縮め、交際へと発展していきました。
当時の年齢差はなんと17歳!なかなかの歳の差カップルですよね。
しかし2人は歳の差をもろともせず、愛を育んでいきます。
しかし服部晴治さんにはすでに2度の結婚歴があり、その頃は歌手の中村晃子さんと結婚間近とも言われていました。
こちらが当時の中村晃子さん。

こんな凄いべっぴんさんと二股をかけていたなんて・・さすがモテ男。
こうした背景から、世間や周囲からは「略奪愛」などと厳しい声が寄せられました。
しかし、大竹さんは当時を振り返り、

相手も結婚歴もある凄い年上の人だったから、凄い反対されて。
でもあんまり迷うことなく、そうなったらそうなったでいいや、って思った。
と語っています。
迷いや後悔はなく、自分の気持ちに正直に生きた結果の結婚だったんですね。
自分の気持ちを貫き通すのは今も昔も変わりなく大変なはずなのに、大竹しのぶさんは凄いですね。
結婚後の突然の病
結婚1年後に闘病生活へ。長男・二千翔が誕生。
大竹しのぶさんが25歳の時、2人は結婚します。
しかしその約1年後、服部晴治さんに胃がんが発覚され、医師からは「余命1年」と宣告されました。
本人には病状を伝えないまま、大竹しのぶさんは必死に看病します。
やがて長男・二千翔さんが誕生し、家族の絆はさらに深まりました。
こちらは3人が揃った家族写真。


病と闘いながらも、あたたかい家族を築けたんですね。
二千翔(にちか)さんの名前には「21世紀を翔ける」という意味が込められているそうよ。
しかし、この頃の大竹しのぶさんは、看病に出産・育児にと、怒涛の生活を送っていたことでしょう。
そんな生活も長くは続きませんでした。
最期まで貫いた深い愛
服部晴治氏は亡くなる直前まで妻を愛し続けていた
闘病生活の末、服部晴治さんは47歳という若さでこの世を去ります。
亡くなるわずか1週間前は大竹しのぶさんの30歳の誕生日でした。
酸素マスクをつけながらも、服部晴治さんは病室で「引き出しを開けて」と大竹しのぶさんに伝えます。
そこにはペンダントの誕生日プレゼントが用意されていました。
「自分で買いに行けなくて、めいっ子に頼んだんだけど」と語る服部晴治さん。
最期の時まで、大竹しのぶさんへの愛情を忘れることはありませんでした。
後に大竹しのぶさんは、



5年でいっちゃったけど、私は10年分も20年分も、もっともっと愛されていました。今は『ありがとう』っていう言葉を晴治さんに言いました。
と語り、その深い愛情に感謝の気持ちを残しています。
短い時間でもお互いを大事にし、深く愛し合った夫婦だったんですね。
二千翔の兄弟や姉妹情報もまとめた!
二千翔さんの兄弟について、調べてみました。
二千翔には異父妹の、IMALUがいる
二千翔の兄弟は、異父妹のIMALUがいる
二千翔さんには、異父妹のIMALUさんがいます。


IMALUさんはタレント、モデルとマルチに活躍されていますよね。
服部晴治さんが他界後、精神的にまいてしまっていた大竹しのぶさんを献身的に支えていたのが明石家さんまさん。
友情から愛情が芽生え、生前、服部晴治さんが「しのぶを頼む」と手紙を託していたこともあり2人は再婚。
1989年に長女・IMALUさんが誕生しました。


二千翔さんにとってIMALUさんは異父妹にあたります。
しかし、大竹しのぶさんと明石家さんまさんの仕事への考え方などの不一致により、1992年に離婚。
二人の子供の親権を大竹しのぶさんが持つことになりました。
その後は、大竹しのぶさんの交際相手・劇作家の野田秀樹さんと事実婚状態で暮らし始めます。


二千翔さんが8歳から13歳、IMALUさんが3歳から8歳まで、一緒に生活していたそうですよ。
野田秀樹さんは子どもたちを実子のように可愛がったといいます。
しかし幼いIMALUさんにとっては、『父親』が二人いて困惑したそう。
今ではその当時の生活について、「楽しかった」と語っています。
それも一緒に暮らした兄・二千翔さんの存在が大きかったのかもしれませんね。


2人は大人になってからも関係は良好で、よく食事をする仲だそうですよ。
二千翔は2025年6月に入籍
2025年6月に二千翔、入籍。大竹しのぶ安堵
二千翔さんは20代の看護師女性と、婚活アプリを通じて出会い、2025年6月に入籍。
9月に挙式を挙げました。
挙式には母・大竹しのぶさん、異父妹・IMALUさんが参加。
血のつながりはないけれど、明石家さんまさんと子供のころから面倒を見てきたタレントのジミー大西さんも出席。


結婚式後に、新聞で連載中の新聞コラムで大竹しのぶさんは、
「2歳の時に別れた息子の父親に、やっと二千翔も、巣立っていきます。安心しました。と空に向かって呟きました」
と服部晴治さんにも結婚を“報告”したことを明かしました。
二千翔さん、これからも末長くお幸せに。
まとめ
今回は二千翔の父親はさんまじゃなくて服部晴治!大竹しのぶとの馴れ初めも調査!
という事で、二千翔さんの実家や両親(父・母)、兄弟姉妹など家族についての記事をお届けしました。
- 二千翔さんの父親は、元TBSディレクターの服部晴治
- 二千翔さんの両親は、周囲の反対を押し切り結婚した
- 二千翔さんには異父妹のIMALUさんがいる
- 二千翔さんは2025年6月に入籍した
以上の内容がわかりました。
それでは、最後までお読みいただきありがとうございました。