柔道男子81kg級でオリンピック連覇を成し遂げた、永瀬貴規(ながせたかのり)さん。

2021年の東京オリンピックに続き、2024年のパリオリンピックでも金メダルを獲得。五輪の同一階級での2連覇は史上初という偉業でした。
そんな永瀬貴規さんを育てたご実家、そしてお父さん・お母さんはどんな方たちなのでしょうか?
今回は永瀬貴規の両親は父は公務員では母アスリート!兄弟など家族もまとめた!
という事で、長崎のご実家から、単身赴任で家族を支えたお父さん、送迎と食事で支え続けたお母さん、そして柔道家の兄までまとめて調べてみました。
永瀬貴規の実家はお金持ち?
まずは、永瀬貴規さんが生まれ育ったご実家まわりから見ていきましょう!
永瀬貴規の実家の場所は長崎県長崎市文教町!
永瀬貴規さんのご実家は長崎県長崎市の文教町周辺にあるとみられています。
その根拠がこちらです。
- ご出身:長崎県長崎市
- 出身小学校:長崎大学教育学部附属小学校(長崎県長崎市文教町4−23)
- 出身中学校:長崎大学教育学部付属中学校(長崎県長崎市文教町4−23)
小学校も中学校も同じ文教町4−23。この学校を選んだ理由は「家からも近く、環境が良かったから」とされているので、ご実家がこの周辺にある可能性は極めて高いと言えるでしょう。
ちなみにこの附属小学校、男子生徒の1割が毎年、鹿児島の名門ラ・サール中学校に合格するというレベルの高さ。後ほど触れる「文武両道」という言葉の意味が、ここからも見えてきますね。
(※番地レベルの住所が公表されているわけではありませんので、あくまで通学環境からの推測です)
永瀬貴規の実家はお金持ち?
結論からいうと、「お金持ち」というより「人並みかそれ以上の収入があったご家庭」という表現が近そうです。
分かっている家庭環境を並べてみましょう。
- 父親は国家公務員の税関職員のため、実家は官舎でそこまで広くなかった
- 父親は転勤族で単身赴任をしていた
- 実家は子ども部屋もなかった
- 母親は元テニス選手のアスリート
注目したいのが「実家は官舎で、子ども部屋もなかった」という点。五輪連覇を果たした選手の実家としては、かなり意外ではないでしょうか。
つまり特別に裕福な家庭で育ったというエピソードは見つかりませんでした。豪邸でもなければ、専用の練習場があったわけでもありません。
ただ、税関職員は給与水準の高い職業と言われますので、生活に困るような状況ではなかったはず。ある程度の余裕はあったご家庭と考えるのが妥当でしょう。
むしろこのご家庭のすごさは、お金ではなく狭い官舎で身を寄せ合って暮らし、家族の仲がとても良かったという点にあります。子ども部屋がないからこそ距離が近かった、というわけですね。
永瀬貴規の実家の両親(父・母)はどんな人?
続いては、この記事の本題であるお父さん・お母さんについてです!
永瀬貴規の父親は政司!
お父さんのお名前は永瀬政司(まさし)さん。
職業は長崎税関に勤める国家公務員で、2017年に定年退職されています。
長崎税関の管轄区域は長崎・熊本・鹿児島にまたがっていて、転勤の多い仕事。ところが永瀬貴規さんは、
- 長崎大学教育学部附属小学校
- 同中学校
- 長崎日大高校
と、一貫して長崎で育っています。つまりお父さんは、家族を長崎に残して単身赴任をしていたということですね。
実際、お母さんも当時をこう振り返っています。
夫が単身赴任で、仕事をこなしながら3人の子育てをしていた私は趣味を持つ余裕がなかった
小学生の頃から大会に出ていた息子が柔道に集中できるように——。家族で引っ越すのではなく、父が単身で出ていくという選択だったのでしょう。
子どもの環境を守るために、自分が離れる。言葉にはしないタイプの、静かな支え方だったのかもしれませんね。
永瀬貴規の母親は小由利!
お母さんのお名前は永瀬小由利(さゆり)さん。ご両親のなかでは、インタビューで顔写真が公開されたこともある方です。

もう少しお顔の様子が分かる写真もありました。

年齢や職業は公表されていませんが、はっきりしているのが元テニス選手だったということ。長崎市のご出身で、高校時代には全国大会にも出場する腕前だったそうです。
そしてこのお母さんの支え方が、とにかく徹底しています。
永瀬貴規さんが通っていた中学校には柔道部がありませんでした。そこでお母さんは、車で片道およそ80分もかかる稽古場へ、息子を送り迎えしていたのです。
さらに体づくりのため、毎朝カスピ海ヨーグルトを食べさせていたという話も。他のヨーグルトより酸味が少なくタンパク質が豊富だから、という理由だったそうです。
夫は単身赴任、子どもは3人、そのうえ片道80分の送迎。「趣味を持つ余裕がなかった」という言葉の重みが、ここでずしりと効いてきますね。
永瀬貴規の両親のエピソードも紹介!
ここからは、永瀬家の空気が伝わってくるエピソードを一気に見ていきましょう!
息子は特に反抗期もなかった!
永瀬貴規さんとお母さんは、ずっと仲の良い母子だったそうです。
思春期といえば親を避けたくなる時期ですが、永瀬貴規さんには反抗期らしい反抗期がなかったのだとか。
それどころか、お母さんの料理を毎日こう言って楽しみにしていたそうです。
きょうの晩御飯はなにかな。
そして世界大会で活躍するようになると、お母さんにバッグや時計をプレゼントしていたという情報も。
いまでもお母さんについて語る言葉が、こちらです。
母が一番のファンです!
片道80分の送迎も、毎朝のヨーグルトも、全部ひっくるめての「母が一番のファン」。これ以上ない親孝行の言葉ですよね。
永瀬貴規は用心深い子どもだった!?
体重4,200グラムで生まれたという永瀬貴規さん。幼い頃から、とにかく「用心深い」子どもだったそうです。
お母さんがいちばん印象に残っているのが、3〜4歳の頃の出来事。


お父さん・お姉さん・お兄さんと4人で乗るブランコに乗っていたとき、永瀬貴規さんが落下してしまいます。お父さんは「これはダメだ。ケガをする」と絶句。
ところが当の本人は、ブランコの下で静かにうずくまったまま動かなかったのです。その理由がこちら。
頭を上げたら危ない。黙ってこうしてたら大丈夫って思った。
保育園に上がる前の子どもが、落下した瞬間に「今動くほうが危ない」と判断していた——。畳の上で見せるあの冷静さは、生まれ持ったものだったということですね。
大叔父がすごい人だった!
じつは永瀬家、父方の大叔父が柔道界の名選手なんです。
そのお名前は平尾勝司さん。1969年の世界選手権・中量級で2位に輝いた実績を持つ方です。
永瀬貴規さんが柔道を始めたのは6歳のとき。その場所が、大叔父・平尾勝司さんが師範を務める「養心会」でした。しかも、お兄さんと同じタイミングでのスタートです。
世界2位の実力者が身内にいて、その道場で兄弟そろって始める。これ以上ない環境が、最初から用意されていたわけですね。
母はどの会場にも息子の応援に駆け付ける!
お母さんの応援は、国内にとどまりません。
なんと地球の裏側であるブラジル・リオデジャネイロにも駆けつけていたのだそうです。
過去のインタビューでは「お金はかかるけど絶対に応援に行く」とまで語られていました。
もっとも、最初のうちは永瀬貴規さんも母の応援を恥ずかしがっていたのだとか。それでも今は、その声援を力に変えて戦っているのでしょうね。
両親のモットーである文武両道を貫いていた!
永瀬家のモットーは「文武両道」。これが進路にはっきり表れています。
ご両親の勧めで国立の長崎大学教育学部附属小学校・中学校へ。高校は長崎日大高校ですが、進んだのは「国立大学進学」クラスでした。
ご両親からのアドバイスは「高校時代は柔道だけでなく勉強もするように」。その結果として進学したのが筑波大学です。
柔道の名門私立高校からの誘いもあったそうですが、高校1年の頃からご両親とともに魅力を感じていた筑波大学を選んだとのこと。
柔道だけで進める実力がありながら、あえて勉強も手放さない。ご両親のモットーが、そのまま息子の芯の強さになっているのがよく分かります。
永瀬貴規の兄弟姉妹も調査!
ご両親のあとは、ご兄弟についても見ていきましょう!
永瀬貴規の兄弟は兄1人と姉1人!
永瀬貴規さんはお兄さんとお姉さんがいる3人きょうだいの末っ子です。


お兄さんのお名前は永瀬諒(りょう)さん。日本体育大学へ進学されています。
現在は地元・長崎県の長崎南山高校で保健体育の教員として働かれているとのこと。
もちろん柔道もされていて、全日本学生柔道体重別選手権で準優勝という実績をお持ちです。6歳のときに弟と同時に柔道を始めた、そのお兄さんも相当な実力者だったんですね。
いっぽうお姉さんについては、お名前も職業も顔写真も公表されていません。柔道をされていたという情報も見当たりませんでした。
そして3人きょうだいについて、お母さんはこんな証言を残しています。
3兄弟が喧嘩をしているところを見た記憶がない
子ども部屋のない官舎で、常にお互いの目の届くところで育った3人。狭さがそのまま仲の良さになったという、なんとも永瀬家らしいエピソードですね。
永瀬貴規は結婚してる?
ご家族の話題として、永瀬貴規さんご自身の結婚についても触れておきましょう。
結論から言うと、2026年9月時点で、永瀬貴規さんが結婚を発表した事実は確認できません。お子さんについても同様です。
ネット上には「結婚しているのでは」「彼女がいるらしい」といった書き込みも見られますが、本人や所属先の発表はなく、裏付けとなる報道も見当たりません=真偽は不明です。
もともと私生活をあまり語らないタイプの方。断定している情報は鵜呑みにせず、正式な発表を待ちたいところですね。
永瀬貴規の現在は?五輪連覇のあとも畳の上に
最後に、ご家族が支えてきた永瀬貴規さんの現在地もまとめておきましょう。


まずはプロフィールから。
・名前:永瀬 貴規(ながせ たかのり)
・生年月日:1993年10月14日(2026年で32歳)
・出身:長崎県長崎市
・身長/階級:182cm/81kg級
・段位:五段(組み手は右組み/得意技は内股・足技)
・所属:旭化成
主な戦績を整理すると、その凄さがよく分かります。
・2015年 世界選手権(アスタナ)81kg級 優勝
・2016年 リオ五輪 81kg級 銅メダル
・2021年 東京五輪 81kg級 金メダル(混合団体は銀)
・2024年 パリ五輪 81kg級 金メダル(混合団体は銀)
・オリンピック3大会連続メダル、同一階級での五輪連覇は史上初
パリ五輪の決勝では、世界選手権3連覇中だったグリガラシビリ選手(ジョージア)を撃破しての戴冠。2024年8月には長崎県から県民栄誉賞特別賞、同年11月には紫綬褒章飾版も受けています。


そしてこの方、競技以外でも話題になりました。それが「永瀬すぎる」という言葉です。
パリ五輪の表彰式での写真撮影のとき、銅メダルのイ・ジュンファン選手(韓国)が前にせり出し、永瀬貴規さんの金メダルが隠れる形に。
すると永瀬貴規さんは、イ選手の肩に手を回して自分の前に立たせ、自らは後ろに下がって撮影に応じたのです。
ジャーナリストの岸田雪子さんも「他のメダリストを『前にどうぞ』って」「周りの方を立てるっていうね」と絶賛。謙虚すぎる振る舞いが「永瀬すぎる」と呼ばれ、流行語のように広まりました。
その後も現役を続けており、直近の歩みはこちら。
・2025年4月 全日本選抜体重別で初戦敗退(送襟絞で失神負け。落とされて敗れたのは初)
・2025年5月 グランドスラム・アスタナ 2位
・2025年6月 世界選手権は初戦で反則負け
・2025年12月 グランドスラム・東京はケガのため出場回避
・2026年6月 実業団体で優勝
・IJF世界ランキングは13位(2026年6月1日現在)
五輪連覇後は苦しい試合も続いていますが、32歳になったいまも畳の上に立ち続けているということですね。
単身赴任で環境を守ったお父さん、片道80分を送迎し続けたお母さん、同じ日に柔道を始めたお兄さん、そして道場の師範だった大叔父。「永瀬すぎる」と言われるあの謙虚さも、この家族のなかで育まれたものなのだと思います!
まとめ
今回は永瀬貴規の両親は父は公務員では母アスリート!兄弟など家族もまとめた!
という事で、長崎のご実家からご両親、3人きょうだい、そして現在までをまとめてお届けしました。
- 実家は長崎県長崎市の文教町周辺とみられる。小中とも長崎大学教育学部附属で、家から近く環境が良かったことが選んだ理由(住所は非公表)
- 実家は税関の官舎で子ども部屋もなかった。特別に裕福だったわけではないが、人並みかそれ以上の収入はあったとみられる
- 父親は永瀬政司さん。長崎税関の国家公務員で2017年に定年退職。息子が柔道に集中できるよう単身赴任を選んだ
- 母親は永瀬小由利さん。元テニス選手で高校時代は全国大会出場。片道80分の稽古場へ送迎し、毎朝カスピ海ヨーグルトで体づくりを支えた
- 父方の大叔父は1969年世界選手権2位の平尾勝司さん。その道場「養心会」で兄と一緒に6歳から柔道を始めた
- 兄弟姉妹は兄・諒さんと姉の3人きょうだい。兄は全日本学生柔道体重別選手権準優勝で、現在は長崎南山高校の保健体育教員。姉の情報は非公表
- 2026年9月時点で結婚の発表は確認できず。ネット上の結婚・彼女の噂は裏付けがなく真偽不明
- 東京・パリ五輪で同一階級初の連覇を達成。表彰式での謙虚な振る舞いは「永瀬すぎる」と話題になり、2026年も現役を続けている!
以上の内容がわかりました。
それでは、最後までお読みいただきありがとうございました。