オリックス・バファローズの宗佑磨(むね ゆうま)選手。

2021年から2023年まで、三塁手としてゴールデングラブ賞とベストナインに3年続けて選ばれました。2026年は134試合に出て打率.245、14本塁打、65打点と、本塁打と打点でキャリアハイ。5月にはプロ12年目で初めて4番を打ち、6月には国内FA権を手にしています。
家族はこの顔ぶれです。
- 父:ギニア人の国立バレエダンサー。1997年に離婚
- 母:ミカさん。セラピスト・整体師
- 兄弟:いない一人っ子
- 実家:母は大阪に住んでいる
1歳からお母さんと2人で暮らし、大阪市にある母方の実家、東京・御茶ノ水、神奈川県鎌倉市と移り住んでいます。
宗佑磨のプロフィール
- 名前:宗佑磨(むね ゆうま)
- 生年月日:1996年6月7日
- 出身:東京都武蔵野市
- 学歴:鎌倉市立玉縄中学校 → 横浜隼人高校
- 経歴:2014年ドラフト2位でオリックス入団
- ポジション:内野手(三塁)
小学3年生で東京・御茶ノ水に移って軟式野球チーム「お茶の水スリーアローズ」で野球を始め、小学5年生で神奈川県鎌倉市に移りました。横浜隼人高校2年の春には、県大会で桐光学園の松井裕樹投手からヒットを2本打っています。
宗佑磨の父親はギニア人
父はギニアの国立バレエダンサー
お父さんは、西アフリカ・ギニアの人です。2014年の日刊ゲンダイで、お母さんのミカさんがこう話しています。
92年にセネガルに渡り、縁あって知人のギニア人で国立バレエダンサーと結婚
引用:https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/sports/154905
ギニアの国立バレエ団のダンサーだったとも言われています。名前や写真、今どこで何をしているのかは、わかっていません。
父は「ガーナ人」?
ドラフトの前後には、スポーツ紙の中に「ガーナ人の父」と書いた記事もありました。ですが、お母さん本人は「ギニア人」と話しているので、ガーナは誤りとみられます。
1歳のときに両親が離婚
2人はしばらくアフリカで暮らしたあと、一緒に日本に戻ります。1996年6月、東京都武蔵野市で宗佑磨選手が生まれましたが、翌1997年に両親は離婚しました。
そこから、お母さんとの2人暮らしが始まります。本人は、お母さんのことをこう話していました。
お母さんは小さい頃から母であり、父や兄弟の存在にもなってくれた。口喧嘩はよくしたけど、母がいなかったら僕はいない。母はいつも自分を守り辛い時も笑わせてくれた。今後は自分がプロで頑張り母を喜ばせたい。
2024年のNumberの取材でも、お母さんを「母親であり、父親のようで、兄弟のようで」と表現しています。
アフリカのお守り
中学3年生の冬休みには、お母さんに連れられて西アフリカのガーナを訪ねました。お母さんの知人の夫が現地の呪術師で、新年の儀式のときにお守りのブレスレット「ジョパタ」を作ってもらったそうです。
高校時代は試合中もポケットに入れていて、「身につけていると、ほとんどの公式戦でヒットを打てた」とのこと。オリックスの寮に入るときも、左手首に着けていました。
ガーナの旅は、肌の色についての考え方も変えたようです。
子供の頃は、肌の色のことを言われることが多かった。でも、ガーナに行って小さいことだと思った。今は何とも思わない。
宗佑磨の母親はミカさん
母はセラピストで整体師
お母さんはミカさんです。2014年のドラフトのときに51歳だったので、2026年10月17日時点では62〜63歳くらいです。


実家が大阪市にあり、大阪の出身と言われています。7歳からクラシックバレエを習っていました。20代のころはフラメンコやサルサの歌手として歌い、音楽事務所では海外の音楽家を呼ぶ企画も担当しています。アフリカの太鼓の音楽に夢中になり、1992年にセネガルへ渡っています。
小さいころの宗佑磨選手と、お母さんの写真です。


30代から資格を取り直した
離婚したあと、お母さんは派遣社員として保険会社や食品会社で働きながら、アロマセラピーの資格を目指しました。その後、大阪市の実家に移り、両親の手を借りて子育てをしながら、栄養士の専門学校に2年通います。
卒業後は実家近くの保育園で栄養士として働き、2006年から整体師・セラピストとして本格的に仕事を始めました。2014年の取材のころには、リンパ排出法のセラピスト兼整体師として独立していました。資格はどれも30代になってから猛勉強して取ったものです。
2014年当時は鎌倉市の自宅兼仕事場で暮らしていて、宗佑磨選手も施術室でお母さんの施術を受けていたそうです。


当時のことを、お母さんはこう振り返っています。
精神的につらい時期もありましたが、それを支えてくれたのは佑磨の存在でした。『佑磨を守る』。その使命感が私を奮い立たせてくれました。大切にしたのは笑顔。どんなにつらいことがあっても笑い飛ばす。
引用:https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/sports/154905/2
肌の色でからかわれた小学生時代
宗佑磨選手は小学生のころ、肌の色のことでからかわれていました。
小学校時代は、良い思い出が無い。人前でも目立ちたくない性格でした。
肌の色のことは、2014年の日刊ゲンダイの取材で「今は何とも思わない」と話しています。ドラフトのころには「今は誇りに思う」とも話していました。
宗佑磨と母親のエピソード
お正月は母の手料理
2017年の元日には、お母さんの手料理をXに載せています。
「朝(昼)御飯はしっかりと母親の手作り料理から」と書いていて、ファンからも「お母様のお料理素晴らしいですね」とコメントが寄せられていました。
円陣で「おかん、頑張るよー!」
2024年4月10日、京セラドーム大阪での楽天戦。円陣の声出しを任された宗佑磨選手は、こう切り出しました。
今日はですね、おかんが来てるんで!
チームメイトが「おかん!」と合いの手を入れるなか、スタンドに向かってこう叫んでいます。
おかん、頑張るよー!!


この日、お母さんはバックネット裏で観ていました。席は、シーズンシートを持つ選手から譲ってもらったものだそうです。宗佑磨選手は5打数3安打で、その年初めての猛打賞。試合は5対4で負けましたが、「おかんパワー」と話し、「親は大事にしないといけない」「母さんがいなかったら、今の僕はいないです」と語りました。
お母さんからは「いつもあんた外食ばかりでしょ?うちでは味の薄いものを食べていきなさい」と言われているそうで、LINEでは「次いつ?」「また行く!」とやりとりしているんだとか。
翌日、円陣で「おかん」と連呼したことを聞かれると、こう答えています。
恥ずかしくないんで。(恥ずかしいのは)日本がおかしい。僕はそんな教育されてない。母をババアと思ったことはありますけど言ったことない。言ったらキレられていたと思う。そういう友達はいなかったですし。
母は大阪に戻った
お母さんは2019年ごろに大阪へ戻り、今は宗佑磨選手の家から車ですぐの所に住んでいます。
僕を育てるために関東に引っ越して仕事をしていたから、僕が巣立ったら、やる意義がなくなっちゃったらしくて。『私も大阪帰ろっかな』って。だから僕も『自由に過ごしてよ』って感じです。
ご飯を食べに、よくお母さんの家に行くそうです。
親の飯が一番うまいんで。だって安心できるじゃないですか。『これ何?』とかないし、親が作ったものだったら食うし、って感じです。
母の日のプレゼントを聞かれたときは、照れくさそうにこう答えていました。
別にそんな、美談にしなくていいっすけど、飯にでも行くんじゃないですか。
ネットでは、ヒーローインタビューで「今一番会いたい人」に「ママですかね」と答えた、子どものころ「ママって呼びなさい!」と怒られた、という話も紹介されています。
宗佑磨の兄弟は?
宗佑磨選手に兄弟はいません。2024年のNumberの取材で、「母子家庭だし、一人っ子だし、ハーフだし」と話していました。
宗佑磨は結婚している?
2026年10月時点で、宗佑磨選手の結婚や交際の報道はありません。好きなタイプは女優の新木優子さんだと言われています。
国内FA権を取ったときには「大阪に来て12年。18歳の時からやってきているので、もちろん愛着はめちゃくちゃあります。大阪も好きなので」と話していました。お母さんが暮らす大阪に残るのか、FA権を使うのかが注目されています。
まとめ
今回は「宗佑磨の父はギニア人でハーフ!母子家庭育ちで兄弟も居らず母1人子1人だった!」と題して、宗佑磨選手の家族についてまとめました。
- 父はギニア人の国立バレエダンサー。1997年に両親が離婚した
- 母のミカさんは元歌手で、30代から資格を取り、今はセラピスト・整体師
- 1歳から母と2人で暮らし、大阪・東京・鎌倉と移り住んだ
- 円陣で「おかん、頑張るよー!」と叫ぶほどの母親思い
- 兄弟はいない一人っ子
- 2026年10月時点で結婚の報道はない
以上の内容がわかりました。
それでは、最後までお読みいただきありがとうございました。