元日本代表ラグビー選手として活躍し、2016年に病のためこの世を去った平尾誠二(ひらお・せいじ)さん。

「ミスターラグビー」の異名で知られ、選手としてだけでなく指導者としても日本のラグビー界の発展に大きく貢献した人物です。
2016年10月20日、胆管細胞がんのため53歳という若さで亡くなり、ラグビー界のさらなる発展を見届けることはできませんでした。突然の訃報は多くのファンや関係者に大きな衝撃を与えています。
そんな平尾誠二さんが生まれ育った実家や、お父さん・お母さんはどのような方だったのでしょうか。
今回は平尾誠二の実家は京都のどこ?父母や兄弟など家族情報も全部まとめた!
というわけで、今回は平尾誠二さんの実家や両親、兄弟姉妹、さらにはご自身の奥様やお子さんまで、家族にまつわる情報を幅広く調べてみました。
平尾誠二の実家はお金持ち?
まずは平尾誠二さんが生まれ育った実家について調べてみましょう。
平尾誠二の実家の場所は京都府京都市南区
平尾誠二さんの出身地は京都府京都市南区だと分かっています。
ここからは、出身の小中学校を手がかりに、平尾誠二さんの実家があった場所をたどっていきます。
平尾誠二さんの出身小学校は不明のままだったため、出身中学校の情報から推測することにしました。
平尾誠二さんが通っていたのは中学校は京都府京都市立陶化中学校(現・凌風中学校)です。
京都市立陶化中学校(現・凌風中学校)の通学区域にあたる地域は、以下の通りです。
上鳥羽勧進橋町
西九条春日町(一部)
東九条(明田町、石田町、宇賀辺町、上御霊町、上殿田町、烏丸町、河西町、河辺町、北烏丸町、北河原町、北松ノ木町、下殿田町、中御霊町、中殿田町、中札辻町、酉明田町、酉岩本町、酉河辺町、酉御霊町、酉山王町、西札辻町、西山町、東岩本町、東御霊町、東山王町、東札辻町、東松ノ木町、松田町、南石田町、南岩本町、南烏丸町、南河辺町、南河原町、南山王町、南松田町、南松ノ木町、室町、柳下町)
こうした情報を踏まえると、平尾誠二さんの実家は京都市立陶化中学校(現・凌風中学校)の通学区域内にあった可能性が高いと考えられます。
凌風中学校は存在しない?
現在、平尾誠二さんが通っていた陶化中学校は凌風学園という形で存在しています。
凌風学園は公立の小中一貫校で、学校統廃合によって誕生した学校です。
所在地は、旧・陶化中学校と旧・東和小学校の跡地です。
京都市立義務教育学校条例上の正式名称は「京都市立凌風小中学校」です。

ただし、平尾誠二さんの実家が現在もこの通学区域内にあるかどうかまでは確認できませんでした。
平尾誠二の実家はお金持ち?
調べた範囲では、平尾誠二さんの実家はごく一般的なご家庭だった可能性が高いと見ています。
その根拠は以下の通りです。
- 中学校が公立校
それでは、詳しく見ていきましょう。
中学校が公立校
通っていた中学校の通学区域から考えると、平尾誠二さんの実家は京都駅からほど近い場所にあったと推測できます。
京都市の中心部であれば私立の小中学校も数多くあり、進学先の選択肢自体は十分にあったはずです。
それでもあえて公立中学校を選んでいるということから、次の2つが考えられます。
- 本人に私立中学へ進む意思がなかった
- 本人が望んでも進学できない事情があった
この2パターンのうち、経済的に苦しかったというエピソードは特に見当たらないため、前者が理由だったのではないかと考えられます。
ここまでの情報を総合すると、平尾誠二さんの実家はごく一般的な家庭だった可能性が高いと言えそうです。
調べてみると、平尾誠二さんの実家があったとされる場所が京都駅のすぐ近くだったのは、ちょっとした発見でした。
京都観光で新幹線や電車を利用したときに、気づかないうちにそのあたりを通り過ぎている人もいるかもしれませんね。
平尾誠二の実家の両親(父・母)はどんな人?
続いて、平尾誠二さんのお父さん・お母さんについても調べてみました。
平尾誠二の父親は一般人?
残念ながら、平尾誠二さんのお父さんに関する情報そのものがほとんど見つかりませんでした。
ここまで情報が出てこないということは、お父さんは表舞台に出ることのない一般人だった可能性が高いと考えられます。
ただ、平尾誠二さんが大学卒業後にイギリス・リッチモンドへ留学していた経歴を踏まえると、家庭にはある程度の経済的な余裕があったのではないでしょうか。
また、平尾誠二さんの闘病期に関するさまざまな証言のなかにも父親の存在はまったく出てきません。このことから、父親は誠二さんが病気になるよりも前に亡くなっていた可能性があると見られています。
平尾誠二の母親は孫から見るとパワフルおばあちゃん
平尾誠二さんの母親は平尾信子(ひらお・のぶこ)さんという方です。
信子さんも一般人ということもあり、公になっている情報はほとんどありませんでした。
それでも分かったのは、次のような点です。
- 孫からは「パワフルおばあちゃん」と呼ばれていた(平尾誠二さんの長女・大塚早紀さん談)
- 2014年に胃がんを患い、胃を全摘出している
- 2018年に亡くなっている
という3点です。

この「パワフルおばあちゃん」ぶりが伝わるエピソードは、この後あらためて紹介します。
平尾誠二の両親のエピソードも紹介!
平尾誠二さんとご両親にまつわるエピソードもあわせて調べてみました。
父親に買ってもらったラグビースパイク
平尾誠二さんは中学校への入学と同時にラグビーを始めています。
その当時、父親にラグビースパイクをねだったところ、「無理だろうな」と半ば諦めていたのに買ってもらえたことが何より嬉しかったそうです。
その時の気持ちを、平尾誠二さん自身がこう表現しています。
平尾誠二ラグビー人生で一番うれしかったこと
と、テレビ番組で振り返っていました。
その時買ってもらったラグビースパイクは、きっと大切に扱っていたことでしょうね。


すり減ってボロボロになるまで履き込み、大事に取っておいていたのかもしれませんね。
高校の名門ラグビー部の特待生を蹴る
平尾誠二さんは中学3年生の時に出場した京都府秋季大会の決勝戦で、伏見工業高校ラグビー部の監督だった山口良治さんの目に留まります。
山口良治さんはわざわざ平尾誠二さんの自宅まで足を運び、伏見工業高校への進学を誘いました。
ところが、その頃すでに全国的なラグビー名門校として知られる花園高校への特待生入学がほぼ内定していたタイミングだったといいます。
当時の伏見工業高校は「ワルの集まり」として名が知られていたため、両親は反対しました。
それでも平尾誠二さんは、両親の反対を押し切る形で伏見工業高校への入学を決断しました。
反対を押し切ってまで「ワルの集まり」と言われた学校のラグビー部を選んだ背景には、山口監督の熱心な説得ぶりに強く惹かれるものがあったのだと思われます。
とはいえ、そのような評判の学校を選んだ息子を見て、両親は内心穏やかではなかったはずです。
もしあのとき花園高校に進んでいたら、「ミスターラグビー」と称されるほどの改革者にはならず、ただの有名選手のひとりで終わっていたかもしれませんね。
病床での母親との関係
病と闘う辛い状況にあっても、母親への気遣いを忘れなかった平尾誠二さん。
母・信子さんがお見舞いに来るたび、足の悪い母のためにタクシー代を渡してほしいと、平尾誠二さんは妻に頼んでいたそうです。
さらに、平尾誠二さんは妻に対して



おふくろには心配かけるから言わないようにしてくれ
と伝え、自分の病状を母には詳しく伝えないよう念を押していたそうです。
母・信子さんが胃がんで胃を全摘出しているという経緯を知っていたからこその、息子なりの気遣いだったのかもしれません。
一方の信子さんも、自らが胃がんを経験していたからこそ分かる痛みや苦しみを抱えていたのでしょう。
平尾誠二さんの意識がほとんど戻らない状態が続いたときも、病室に駆けつけては、いつも通りの「パワフルおばあちゃん」ぶりで次のような声をかけていたそうです。
不思議なことに、この声かけをきっかけに意識が戻り、容体が上向いて一時退院できるまでに回復したというエピソードが伝えられています。
本人の前ではあくまで気丈に振る舞っていた信子さんですが、病状の進行や抗がん剤の副作用で弱っていく息子の姿を見て



誠二と代わってやりたい。
こんなつらい思いをするのなら、胃がんになった時に死んでいればよかった。
と、本人の見えないところでは弱音をこぼしていたこともあったと伝えられています。
平尾誠二さんの、両親への感謝と優しさが存分に伝わってくるエピソードでしたね。
平尾誠二さんの妻・息子との絆も調査!
ご両親についてだけでなく、平尾誠二さんご自身が築いた家庭についても分かっている情報をまとめてみました。
妻は元女優の惠子さん
平尾誠二さんの妻は惠子(けいこ)さん。かつて「沢近恵子」という芸名で女優・モデル活動をされていた方で、1988年に結婚し、その後芸能界を引退されています。
2人の間には長女(大塚早紀さん)と長男(昂大さん)の一男一女が誕生しています。長女の大塚早紀さんは、この記事でも紹介した「パワフルおばあちゃん」エピソードの語り手ですね。
平尾誠二さんは大の愛妻家としても知られており、遠征先から必ず妻へのお土産を欠かさなかった、特別な日でなくても折に触れて花を贈っていたといったエピソードが伝えられています。闘病中も、惠子さんは常に病室に付き添い、気丈に支え続けていたそうです。
息子・昂大さんは父ゆかりのクラブチームでラグビーに再挑戦
長男の昂大(こうだい)さんは、10代後半から7年ほどアメリカに留学し、ラグビーとはあまり縁のない生活を送っていたそうです。帰国後は会社員として営業の仕事に就いていますが、父・誠二さんが創設した神戸のクラブチーム「SCIX(シックス)」でラグビーを始めたことが報じられています。亡き父の意志を継ぐような再挑戦に、心を動かされるファンも多いようです。
親友・山中伸弥教授との「最後の一年」
平尾誠二さんの家族を語るうえで欠かせないのが、ノーベル生理学・医学賞受賞者である山中伸弥教授(京都大学)との友情です。2010年、雑誌の対談企画をきっかけに親交を深め、医師でもある山中教授が闘病中の平尾誠二さんの治療に奔走したことが知られています。
山中教授が振り返るところによると、体調が急変した際も「迷惑をかけたくないので」という妻・惠子さんの配慮から、あえて連絡が控えられていたことがあったそうです。誠二さん自身の意向を大切にしながら、家族が静かに支えていた様子がうかがえます。2016年10月20日、53歳での逝去は、家族はもちろん山中教授をはじめ多くの関係者に深い悲しみを残しました。
平尾誠二の兄弟姉妹も調査!
平尾誠二さんに兄弟や姉妹がいたのかどうかについても調べてみました。
平尾誠二に兄弟姉妹はおらず一人っ子?
平尾誠二さんについて、兄弟や姉妹に関する情報は見当たりませんでした。
ここまで情報が出てこないということは、平尾誠二さんに兄弟姉妹はおらず、一人っ子だった可能性が高いと見てよさそうです。
もし兄弟姉妹がいたのであれば、平尾誠二さんに関する追悼本や特集記事に何らかの形でコメントを寄せていそうなものですよね。
まとめ
今回は平尾誠二の実家は京都のどこ?父母や兄弟など家族情報も全部まとめた!
というわけで、平尾誠二さんの実家やご両親(父・母)、兄弟姉妹に加えて、奥様やお子さんとの絆についてもお届けしました。
- 平尾誠二さんの実家は京都府京都市南区
- 平尾誠二さんの実家は一般的な家庭の可能性が高い
- 平尾誠二さんの父親は一般人、ラグビースパイクを買ってくれた
- 平尾誠二さんの母親は平尾信子、孫からはパワフルおばあちゃんと言われていた、胃がんで胃を全摘出した過去があり、2018年に亡くなっている
- 平尾誠二さんの兄弟姉妹はおらず、一人っ子の可能性が高い
- 妻は元女優の惠子さんで1988年に結婚、長女・大塚早紀さんと長男・昂大さんの一男一女がいる
- 親友の山中伸弥教授(京都大学)とは2010年の対談をきっかけに親交を深め、闘病中も支え合った
以上の内容が分かりました。
それでは、最後までお読みいただきありがとうございました。