押切美沙紀の両親(父・母)や兄弟は?実家や出身地など家族情報を調査!

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女子スピードスケートの日本代表として、長年第一線で活躍してきた押切美沙紀(おしぎりみさき)選手。

2014年ソチオリンピック、2018年平昌オリンピックと、2大会連続で冬季オリンピックの舞台に立ってきました。

2022年の北京オリンピックでは自身3回目となる出場を果たし、悲願だったメダル獲得という結果にもつながっています。

今回はそんな3大会連続でオリンピックに出場した押切美沙紀選手の両親やご兄弟について迫ります。

気になる実家や出身地など、家族についての情報を調査しました。

押切美沙紀の出身地や実家はどこ?

押切美沙紀選手の出身地は、北海道中札内村(なかさつないむら)です。

農業がさかんな地域で、北海道の村の中では人口が一番多いのだそうです。

スケートを始めたのは小学校1年生のとき。

出身地が近く同学年だったこともあり、「髙木菜那」選手とは幼いころからライバル関係にあったようです。

中学校は村内にある「中札内村立中札内中学校」に進学しました。

どうやら中札内村には中学校がここしかないようですね。

中学時代の押切美沙紀選手は、全国中学校スケート大会で優勝を果たしています。

その後は「駒澤大学附属苫小牧高等学校」へと進学。

偏差値は45~60ほどとされ、卒業生にはスピードスケートの「高山梨沙」選手や、プロ野球・楽天イーグルスの「田中将大」選手もいます。

押切美沙紀選手は2010年(高校2年)に、インターハイの500mで優勝を飾りました。

同年3月にモスクワで開かれた世界ジュニアスピードスケート選手権大会では、チームパシュートで銀メダルを獲得しています。

2011年、高校3年時の最後のインターハイでは、500mと1000mで2冠を達成しました。

高校卒業後は、スケートに専念するために大学進学ではなく就職の道を選んでいます。

入社したのは、「富士急ハイランド」でおなじみの「富士急行」。

入社と同時に、同社のスケート部に所属しました。

ここで短距離・長距離の両方をこなせる「オールラウンダー」を目指すことになります。

入社2年目には、2013~2014年の「ジャパンカップスピードスケート競技会」1000mで優勝を果たしました。

2013年、ソチオリンピック出場を懸けた「日本代表選考会」の1500mで3位に入り、

念願のオリンピック初出場を決めます。

しかし本番の結果は22位に終わり、このソチオリンピックで日本勢はメダル0という結果でした。

この惨敗を受け、日本はスケート大国オランダから「ヨハン・デビッド」コーチを招くことになります。

食事の量から睡眠時間まで、徹底的に管理されたそうです。

あまりの厳しさに「中学生の部活みたい」という不満の声が出るほどだったのだとか。

そんなヨハン・デビッドコーチのもとで迎えた結果は――。

2015年10月の全日本距離別選手権で、大会新記録を出して優勝。

同年11月のワールドカップ・ソルトレイクシティ大会でも、日本新記録となる6位という結果を残しました。

その後は怪我や体調不良にも苦しみながら、平昌オリンピック出場を懸けた「代表選考会」に臨みます。

5000mを7分10秒68のタイムで制し、

2度目となるオリンピック出場を決めました。

2018年平昌オリンピックでの結果は、5000mで9位。

前回のソチオリンピックのときよりも、順位はかなり上がりましたね。

そして迎えた北京オリンピックでは自身3回目の出場となり、地元・中札内村でも村を挙げての応援ムードに包まれました。

その結果、押切美沙紀選手は2022年2月10日の女子5000mで7分1秒17の自己ベストを記録し、みごと8位入賞を果たします。これは日本勢にとって同種目で12年ぶりの入賞という快挙でした。

さらに2月12日の団体追い抜き(チームパシュート)では、控えメンバーとして日本代表チームの銀メダル獲得に貢献。表彰式では、レースを走った3人の同僚選手から自分の首にメダルをかけてもらう場面もあり、押切選手にとって初めてのオリンピックメダルとなりました。

中札内村への「メダルを持って帰ってきてほしい」という願いは、こうしてかたちになったんですね。

押切美沙紀の両親(父・母)はどんな人?

押切美沙紀選手のお父様のお名前は「押切敏則」さん。2022年の取材時点で58歳とのことでした。

お母様は「押切春美」さん。同じく2022年時点で55歳とされています。

ご両親自身はスケートやスポーツの経験がなかったのか、お名前以外の情報はほとんど出てきませんでした。

職業についても、公表されている情報は見当たりません。

こちらの写真は、押切美沙紀選手にとって初となるオリンピック出場時に撮影されたものです。

地元・中札内村の「中札内文化創造センター」で開かれたパブリックビューイングには、100人もの村民が集まったそうです。

レース観戦後、母・春美さんは

「全力は出し切れたと思う。お疲れ様、よく頑張ったねと言ってあげたい」

と、インタビューで心境を語っていました。

幼いころからスケート一筋で駆け抜けてきた娘にとって、初めての大舞台。

結果そのものよりも、これまで積み重ねてきた努力を思うと、ご両親としては胸がいっぱいだったのではないでしょうか。

こちらは、2018年平昌オリンピックへの出場が決まった際の一枚です。

押切美沙紀選手を応援しようと、村内の児童・生徒たちが手作りしたメッセージや横断幕です。

現地に駆けつけられなかった押切選手に代わって、ご両親がこれを受け取る場面もありました。

この平昌オリンピックのあと、押切美沙紀選手は2年ほど競技の第一線を離れ、地元に戻る時期を過ごします。

きっかけは2016年に負った怪我。練習中に転倒し、左股関節を痛めてしまったのです。

そのため平昌オリンピックでも本来の滑りができず、優勝した選手と17秒もの差がついてしまいました。

自分の限界と向き合うなかで、精神的にもかなり追い詰められていたようです。

疲れ切った様子の押切美沙紀選手に対し、ご両親はあえて多くを聞かず、再びリンクに立つ日を信じて静かに見守っていたそうです。

それから2年、時間はかかったものの、周囲の支えを受けてみごとに競技へ復帰しました。

父・敏則さんは「所属チームが休部扱いにしてくれたり、ナショナルチームも名前を残してくれたことが本人の復帰を後押しした」と当時を振り返っています。

その後、2021年12月31日に開催された「北京オリンピック選考会」。

この舞台で5000mを7分4秒31、国内最高記録で滑り切ります。

父・敏則さんは会場で思わず大きなガッツポーズを見せたそうで、

「声を出す応援は控えるように言われていたが、思わず叫んだ」

のだとか。

挫折を味わったからこその、娘のみごとな復帰劇。

落ち込む姿を間近で見てきただけに、ご両親には人一倍こみ上げるものがあったのでしょう。

本人以上に喜んでいた様子が伝わってきますね。そしてその後の北京オリンピックで自己ベストの8位入賞、さらに団体追い抜きで銀メダルまで手にしたのですから、これまで見守り続けてきたご両親にとっても、この上ないご褒美になったはずです。

押切美沙紀に兄弟や姉妹は居る?

押切美沙紀選手には「妹」が1人います。お名前は「押切麻李亜」さんで、1994年11月生まれです。

妹・麻李亜さんもスピードスケートの経験者で、小学校1年生のころから打ち込んでいたそうです。

その腕前は、姉である押切美沙紀選手にひけを取らないほどだったといいます。

2008年、中学2年のときには陸上競技も始め、スケートと陸上の「二刀流」に取り組むようになりました。

2010年には「帯広南商業高校」に進学。

当時のコーチから「ボブスレー」を勧められたそうです。

高校時代は陸上とボブスレーの両方に励み、卒業後はボブスレー一本に絞って専念することになります。

ボブスレーでは先頭を担うパイロットとして活躍しました。

2012年の「ユース冬季五輪」では8位。

2017年の「世界選手権」(ドイツ)では、日本勢最高となる7位を獲得しています。

平昌オリンピックの出場有力候補にもなりましたが、惜しくも選出には至りませんでした。

失意のどん底にいた麻李亜さん。

そんなとき、以前から親交のあった北海道のラグビーチーム「バーバリアンズ」から声がかかり、ニュージーランド留学を決意します。

2019年4月。

「北海道バーバリアンズディアナ」に加入することになりました。

当初はボブスレーとラグビーの二刀流も視野に入れていたそうです。

「やり始めたら難しくてちゃんとラグビーに専念してやりたい」という本人の意思から、ラグビー一本に専念する道を選びました。

そもそもラグビーを始めたきっかけも「五輪を目指すため」だったといいます。

「やるからには上を目指す」と、当時から熱い思いを語っていました。

押切は「ラグビーを始めたのも五輪を目指すため。やるからには上を目指したい」。

出典:https://hochi.news/articles/20190411-OHT1T50211.html?page=1

押切美沙紀選手も、妹の麻李亜選手も、姉妹そろって本当に運動神経に恵まれているんですね。

オリンピックを目指して種目を次々と乗り換えられるのも、高い身体能力があってこそだと思います。

姉の美沙紀選手は3大会連続の出場を経て現役を退きましたが、麻李亜さんは現在も「株式会社ぷらう」でラグビーを続けており、悲願の初オリンピック出場を目指す姿を、これからも応援していきたいですね。

まとめ

いかがでしたでしょうか。

押切美沙紀選手の両親やご兄弟、実家や出身地など、家族についての情報を調査してきました。

北海道中札内村という小さな村から、オリンピック選手が誕生。

しかも北京オリンピックでは自身3回目の出場にして、自己ベストの8位入賞と団体追い抜きの銀メダルを手にしました。

村を挙げて応援している姿は、とても微笑ましいものでした。

成功と挫折を繰り返しながら競技を続けた娘を、優しく見守り続けたご両親の姿にも感動させられました。

押切美沙紀選手は2023年4月にSNSで現役引退を表明し、現在は心理カウンセラーやヨガインストラクターの資格も生かしながら、地元・中札内村をはじめとした十勝地方で講演活動や運動教室の講師を務めています。

また2025年4月には、北海道スポーツ医・科学コンソーシアムのアンバサダーにも就任し、今度は次世代のアスリートを支える立場として地元に恩返しをしています。

ご両親が見守り続けた3度のオリンピックの先に、こうして新しい人生のステージを歩む押切美沙紀選手。これからの活躍も楽しみですね。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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