日本の植物学者の牧野富太郎(まきのとみたろう)さん。

神木隆之介さん主演の朝ドラのモデルになったことで話題になりましたよね。
そんな牧野富太郎さんの実家やお父さん、お母さんはどんな方達なんでしょうか?
今回は牧野富太郎の実家は高知の酒屋!両親や兄弟など家族情報もまとめた!
という事で、牧野富太郎さんの実家や両親、兄弟姉妹など家族についての情報を調べました。
牧野富太郎の実家はお金持ち?
まずは牧野富太郎さんの実家について調べてみました!
牧野富太郎の実家の場所は高知県佐川町の酒屋
牧野富太郎さんの実家は、高知県高岡郡佐川町にある「岸屋」という酒屋です。
NHKの朝ドラ「らんまん」では「峰屋」として登場していました。
【らんまんで使用されていた「峰屋」のセット】

らんまんを見ていた方は、ほぼ毎朝目にしていた建物かもしれません。
こちらはあくまで撮影のセットのため、実際に牧野富太郎さんが住んでいた場所ではありません。
牧野富太郎さんが実際に住んでいた家は、「牧野富太郎ふるさと館」として残されています。

中には牧野富太郎さん本人の遺品や、直筆の手紙などが展示されているのだそう。
入館無料で誰でも入ることができるので、近くへ訪れた際はぜひ立ち寄ってみてくださいね。
牧野富太郎ふるさと館
高知県高岡郡佐川町甲1485
営業時間:9時〜17時(定休日:月曜日)
牧野富太郎さんの実家の酒屋は現在も酒屋になっている
牧野富太郎さんの実家で営んでいた酒屋「岸屋」は、現在も佐川町に残っている「司牡丹酒造」となっています。

司牡丹酒造からは、牧野富太郎さんの名を取り入れたクラフトジン「マキノジン」が発売されています。
20年以上長期熟成をした焼酎がベースとなっており、オーガニック成分に漬け込んだ焼酎を蒸留し、貯蔵熟成しているお酒です。

まろやかでコクがあり、深みを感じられるお酒になっているのでぜひ飲んでみてくださいね。
朝ドラ「らんまん」が放送されて以降、マキノジンが売れることが多くなったそうですよ。
牧野富太郎の実家はお金持ち?
牧野富太郎さんの実家は酒屋で、当時からお金持ちといわれてきたそうです。
幕末時代、酒屋を営む家庭は裕福と言われており、牧野富太郎さんの実家もその例に漏れずに「裕福な家」と言われてきたのだそう。
牧野富太郎さんの実家では、お客さんへお酒を売るスペースのほかに、母屋などが立ち並んでいたそうです。
酒造り以外にも小間物屋も営んでおり、当時の町の中では上流階級の家庭だったそうですよ。
当時は実家の外観だけでも「この家はお金持ちだ」と言われていたのかもしれません。
牧野富太郎さんは26歳の時、「日本植物志図篇」を刊行するための活動を、自分のお金で始めました。
刊行のために工場に出向いて印刷の技術を学ぶ際には当時では莫大なお金が必要だったそうですが、牧野富太郎さんは刊行を叶えました。
その夢を叶えるための活動は朝ドラでも描かれており、多くのお茶の間の涙を誘ったでしょう。
上記の情報を総合すると、牧野富太郎さんの実家は少なくとも裕福なご家庭と考えて間違いないでしょう。
裕福な実家からの金銭的な支援もたくさんあったのでしょうね。
牧野富太郎の実家の両親(父・母)はどんな人?
牧野富太郎さんの実家のお父さん、お母さんについても調べました!
牧野富太郎さんの父親は老舗の酒造の跡取り息子
牧野富太郎さんの父親は牧野佐平さんという名前です。
牧野富太郎さんの祖父にあたる小左衛門さんの代から続く、酒造「岸屋」の跡取りとして酒屋を営んできました。
しかし、富太郎さんが3歳の1865年にこの世を去りました。
牧野佐平さんと思われる写真などは見つかりませんでした。
夢を叶えるために必死に活動する富太郎さんの父親ですから、同じように一生懸命経営を行っていた人なのでしょうね。
牧野富太郎さんの母親は5歳の時に亡くなっている
牧野富太郎さんの母親の名前は牧野久寿さんです。
富太郎さんが5歳の1867年にこの世を去りました。
夫である佐平さんの酒造へ嫁ぎ、酒屋業の手伝いをしていたと推測されます。
牧野久寿さんと思われる写真などは見つかりませんでした。
佐平さんのあとを追うように2年後に亡くなっていますから、長年ご夫婦で支え合って生きてきたのでしょうね。
牧野富太郎さんの両親のエピソードも紹介!
牧野富太郎さんは、父親が3歳の時に、母親が5歳の時に亡くなっているため、両親とのエピソードは見当たりませんでした。
富太郎さんは酒屋「岸屋」の一人息子として生まれ、生まれた時には「成太郎」と名付けられたそうです。
のちに、両親が他界したあと、祖母の浪子さんによって富太郎と改名されました。
実は、父親の佐平さんは親戚筋から岸屋の牧野家に養子として入った人で、母親の久寿さんの方が生家の血をひく「家付きの娘」だったのだそうです。
さらに、富太郎さんが6歳だった頃には、祖父の小左衛門さんも病気で亡くなっています。
3歳で父、5歳で母、6歳で祖父と、幼いうちに身近な肉親を次々と亡くしてしまったんですね。
その後、富太郎さんを育てたのは祖父・小左衛門さんの後妻にあたる祖母の浪子さんでした。
浪子さんは富太郎さんとは血のつながらない祖母でしたが、乳母とともに愛情深く育て上げたそうです。
和歌や書をたしなむ教養のある女性で、富太郎さんが植物に夢中になることも理解し、後押ししてくれていたと言われています。
浪子さんは1887年、富太郎さんが25歳の頃に77歳で亡くなっているので、成人するまでしっかりと見守ってくれていたんですね。
牧野富太郎さんの兄弟姉妹も調査!
牧野富太郎さんに兄弟や姉妹がいるかどうかも調査しました!
牧野富太郎さんに兄弟姉妹はおらず一人っ子?
牧野富太郎さんには兄弟や姉妹の情報は見つかりませんでした。
牧野富太郎さんの年譜によると、1862年に富太郎さんが長男として生まれ、3年後の1865年、父親である佐平さんが亡くなっています。
その2年後に母親の久寿さんが亡くなっています。
父親の佐平さんが亡くなるまでに、妹や弟が生まれているという情報は見つかりませんでした。
これだけ情報が無いということは牧野富太郎さんには兄弟や姉妹はおらず、一人っ子の可能性が高そうですね。
両親を早くに亡くし、兄弟姉妹もいないとなると、孤独な人生だったようにも思えますね。
しかし、富太郎さんは自身の夢を自分の力で叶え、94歳まで生涯を全うしました。
牧野富太郎さんの妻や子供についても調査!
富太郎さんご自身が築いた家庭についても調べてみました!
最初の結婚相手は従妹の猶さんだった
富太郎さんは1881年、祖母・浪子さんの勧めで従妹にあたる猶(なお)さんと結婚しています。
ただ、性格が合わなかったのか、二人はほどなくして離婚したと伝えられています。
富太郎さん自身がこの結婚について多くを語っておらず、詳しい経緯は分かっていないようです。
2番目の妻・壽衛さんとの間に13人の子供を授かった
富太郎さんは1890年、菓子屋の看板娘だった小澤壽衛(すえ)さんと再婚しました。
壽衛さんとの間には13人もの子供を授かり、そのうち7人(3男4女)が無事に成人しています。
研究にお金をつぎ込んでしまいがちだった富太郎さんを、壽衛さんは家計をやりくりしながら長年支え続けたのだそうです。
壽衛さんは1928年、55歳の若さで病気のため亡くなりました。
富太郎さんは亡くなる前年の1927年、仙台で発見した新種の笹に、感謝の気持ちを込めて壽衛さんの名前から「スエコザサ」と名付けています。
お墓には「家守りし妻の恵みやわが学び」という富太郎さん自作の句も刻まれているそうで、夫婦の絆の深さが伝わってきますね。
まとめ
今回は牧野富太郎の実家は高知の酒屋!両親や兄弟など家族情報もまとめた!
という事で、牧野富太郎さんの実家や両親(父・母)、兄弟姉妹など家族についての記事をお届けしました。
- 牧野富太郎さんの実家は高知県佐川町の酒造
- 牧野富太郎さんの両親は幼少期に他界している
- 牧野富太郎さんは一人っ子として生まれ兄弟姉妹はいない
- 祖父も6歳の頃に亡くなり、血のつながらない祖母・浪子さんに育てられた
- 2番目の妻・壽衛さんとの間に13人の子供を授かり、7人が成人した
以上の内容がわかりました。
それでは、最後までお読みいただきありがとうございました。