作家であり、ミュージシャンや映画監督としても幅広く活動する辻仁成(「つじひとなり」または「つじじんせい」)さん。

小説や音楽など、ジャンルを問わず精力的に活動されており、近年ではYouTubeで息子さんと「2G」という名義で配信も行っています。
そんな辻仁成さんを育んだご実家、そしてお父さんお母さんとは、一体どんな方なのでしょうか。
今回は辻仁成の家系図が凄い!?実家は金持ちで両親や兄弟など家族も調査!
というわけで、辻仁成さんのご実家や両親、兄弟姉妹といったご家族について詳しく調べてみました。
辻仁成の家系図がすごい!?
ミュージシャン、作家と、いくつもの顔を持つ辻仁成さん。
そんな辻仁成さんの周辺を調べていくと、創作の才に恵まれた親族が何人もいることが分かりました。
辻仁成の母方の祖父・今村豊は発明家!
辻仁成さんの母方の祖父にあたる今村豊(いまむらゆたか)さんは、発明家として名を馳せた人物です。
辻仁成の祖父・今村豊は戦時中に武器を開発し、のちに仏門へ入った
地元では「鉄砲屋豊」の異名を持ち、名士として一目置かれていた祖父・今村豊さん。
太平洋戦争のさなかには「今村五連式銃」を発明し、自動小銃も軍向けに製造・納入していたそうです。
しかし、自らが生み出した銃によって多くの命が失われたことを深く悔い、戦後は浄土真宗の教えに帰依しました。
犠牲者の鎮魂を願い、故郷の福岡県大川市・大野島の住民らを説き伏せ、掘り出した数千体もの遺骨から仏像「白仏」を築き上げました。

この白仏は今も大野島の勝楽寺に安置されているそうです。
また、辻仁成さんの小説「白仏」はこの祖父・今村豊さんをモデルにした作品で、フランスの文学賞にも輝いています。
辻仁成の祖父・今村豊は今村製鉄所を興し、機械の発明にも力を注いだ
祖父・今村豊さんの人柄について、
辻仁成祖父はモノを生み出すことにかけては天才だった。
と辻仁成さんは表現しています。
祖父・今村豊さんが立ち上げた「今村製鉄所」は、中九州一帯で大きな成功を収めました。
戦後になると、祖父・今村豊さんはいくつもの機械を世に送り出します。
- 自動三輪式の耕運機(のちのトラクターの原型)
- 海苔巻き上げ機
- 海苔乾燥機
など、地元産業を支える技術の土台を築き上げました。
更に、祖父・今村豊さんは地元の市会議員も務めていたそうです。
そんな祖父・今村豊さんが働く姿を、辻仁成さんは次のように振り返っています。



広大な工場群、巨大クレーンをはじめとする近代的な設備、そして大勢の従業員を率いて陣頭指揮を執る祖父の勇姿は、今も脳裏に焼き付いている。
と、辻仁成さんは振り返っています。
辻仁成さんによると、今村製鉄所の名前自体は今も残っているものの、祖父・今村豊さんが亡くなったあとは兄弟らによる経営がうまくいかなかったようです。
戦中・戦後という激動の時代を生き抜いた祖父・今村豊さんのエネルギーは、計り知れないものがありますね。
辻仁成の母・辻恭子は弁舌さわやか!
辻仁成さんの母・辻恭子(つじきょうこ)さん(写真右)。


辻仁成さんの著書「84歳の母さんがぼくに教えてくれた大事なこと」は、母・辻恭子さんの半生を描いた一冊であり、ブログでも恭子さんとのやりとりが度々つづられています。
母・辻恭子さんは幼い頃から華道をたしなみ、その腕前は大人も舌を巻くほどだったそうです。
また、非常に弁の立つ方で、高校生の頃に名古屋で開催された全国弁論大会に福岡県代表として出場。
母・辻恭子さんが放つ数々の言葉は、辻仁成さんの人生観の形成にも大きく寄与しているようです。
結婚後も、料理教室や刺しゅう教室の講師としても腕を振るっていたのだとか。
こうした母・辻恭子さんの創作への情熱や弁舌の才は、辻仁成さんの芸術性や作家活動にもつながっているのでしょうね。
辻仁成の元妻は俳優で子どもたちは芸術家と音楽家!
辻仁成さんはこれまでに3度の結婚と離婚を経験されています。
ここからは、歴代の元妻とそのお子さんについて見ていきましょう。
辻仁成の1人目の元妻は写真家?
1979年、成城大学経済学部に在学していた20歳の辻仁成さんは、1人目の奥さんと学生結婚をしています。
この方は一般のため情報がほとんどありませんが、カメラマン・写真家であったと伝えられています。
結婚生活はおよそ1年と短く、お子さんもいなかったようです。
辻仁成の2人目の元妻は、俳優・南果歩
辻仁成さんの2人目の元妻にあたる、俳優の南果歩(みなみかほ)さん。


映画やドラマ、舞台と、幅広い舞台で活躍する実力派俳優として知られる方です。
南果歩さんは1995年から2000年までの5年間、辻仁成さんと夫婦であり、離婚後は俳優の渡辺謙さんと再婚されました(2018年に離婚)。
同じく表現の世界に生きる者同士、通じ合うものがあったのかもしれませんね。
南果歩さんとの間には、息子さんが1人誕生しています。
辻仁成と元妻・南果歩の息子・南依岐は画家
辻仁成さんと南果歩さんの長男で、画家として活動する南依岐(みなみいぶき)さん。


1995年9月生まれで、2026年現在30歳。
アメリカ・サンフランシスコのアカデミー・オブ・アート大学でBFA(美術学士)を取得したという経歴の持ち主です。
拠点をアメリカと日本に置きつつ、各地で個展を開いています。
手掛けるのはいわゆる現代アートで、本人独自のアルゴリズムを軸に制作されているそうです。
根っからの芸術家気質は、両親から受け継いだ資質が大きそうですね。
ちなみに、プライベートでは23歳の時にアメリカで知り合った1歳年上の日本人女性と学生結婚をしています。
辻仁成の3人目の元妻は女優・歌手の中山美穂
辻仁成さんの3人目の元妻にあたる、女優・歌手の中山美穂さん。


女優として数多くの映画やドラマに出演してきた方です。
歌手としても「世界中の誰よりきっと」などのヒット曲で知られ、亡くなる直前まで全国ツアーを開くなど精力的に活動を続けていました。
中山美穂さんと辻仁成さんが夫婦だったのは、2002年6月3日から2014年7月8日までの12年間です。
2004年1月には長男を出産していますが、辻仁成さんとの協議離婚を経て、長男の親権は辻仁成さんが持つこととなりました。
辻仁成さんと中山美穂さんは雑誌の対談企画で出会い、そのわずか8か月後に結婚に至ったといいます。
表現者ならではの直感が、結婚の決め手になったのかもしれませんね。
なお、中山美穂さんは2024年12月6日、都内の自宅で急逝されたことが所属事務所より発表されました。享年54という早すぎる別れでした。
所属事務所の発表によれば、死因は入浴中の不慮の事故によるもので、事件性はないとのことです。突然の訃報を受け、辻仁成さんも自身のブログで「不意の悲しいお知らせがあり」と胸中をつづり、深い悲しみをにじませていました。
訃報を受けてパリから急遽帰国した息子の辻十斗さんに、辻仁成さんは「ずっと息子君に寄り添っていた」と明かしています。離れて暮らしていた母子の再会が、こうした形になってしまったことを思うと、胸が締め付けられますね。
辻仁成と元妻・中山美穂の息子・辻十斗は大学生
辻仁成さんと中山美穂さんとの間に生まれた長男、辻十斗(つじじゅうと)さん。


父・辻仁成さんのブログにもたびたび登場する存在です。
辻十斗さんは2004年にフランスで生まれ、そのままフランスで育っています。
2026年現在の年齢は22歳となり、フランスの難関国立大学に籍を置いています。
最初は別の大学に進学したものの、本当に学びたい分野を追求するため、現在の国立大学へ編入したそうです。
専攻分野は公表されていないものの、



都市をつくる仕事に携わって、フランスと日本を結ぶプロジェクトに関わりたい。
という辻十斗さん自身の言葉、そして



かなり特殊な大学だった。専門性の高い、スペシャリストを養成する大学で、正直、就職先の幅という点では前の大学のほうが広かった気がする。
という辻仁成さんの発言から察するに、デザインや建築、インフラ関連といった専門色の強い分野を学んでいる可能性がありそうです。
また、辻十斗さんは音楽の才能にも恵まれ、名だたるレコード会社から声がかかるほどなのだとか。
ですが辻十斗さんは、こう語っています。



30歳になるまでは大学で学び続けて、その分野のスペシャリストになりたい。音楽は好きだけれど、あくまで趣味として続けて、社会人としての道を歩むつもりです。
と述べており、音楽の道ではなく自身の目指す職業を突き詰めたいという意志を持っているようです。
ちなみに、辻十斗さんは料理の腕前もなかなかのものだそうです。
この多才ぶりは、両親から受け継いだ血筋なのでしょうね。
辻仁成の親類には童話作家や記者がいる!
辻仁成さんの親類には、童話作家として活躍した方や新聞記者の方もいらっしゃいます。
辻仁成の母方の親類・東君平は童話作家
童話作家として名を残した東君平(ひがしくんぺい)さん。


東君平さんは、母・辻恭子さんのいとこにあたる英子さんの夫にあたります。
「のぼるはがんばる」「くんぺい魔法ばなし」「おはようどうわ」といったシリーズで広く知られる存在です。
1940年1月9日、兵庫県神戸市の生まれです。
医師だった父親の死と一家の破産によって家族が離れ離れになるなど、幼少期はかなり苦労を重ねたそうです。
最初はイラストレーターとして世に出て、その後童話作家へと転身しています。
しかし、1986年12月3日、こじらせた風邪が肺炎へと進行し、46歳という若さでこの世を去っています。
娘の東菜奈(ひがしなな)さんも絵本作家として活動を続けています。
そして、甥にあたるフリージャーナリストの東晋平さんもいらっしゃいます。
辻仁成の母方の親類・東公平は将棋観戦記者でチェスチャンピオン
将棋観戦記者として著名で、日本のチェスチャンピオンでもある東公平(ひがしこうへい)さん。


東公平さんは、先述した東君平さんの兄にあたる人物です。
1933年生まれで、2026年には93歳を迎えます。
将棋棋士を目指して超難関の灘高等学校を中退し奨励会に入会するも、初段で退会したという経歴を持っています。
その後は日本将棋連盟の職員を経て朝日新聞社と契約し、観戦記者として数々の記事を手掛けました。
チェスプレーヤーとしても頭角を現し、日本チェス連盟のチャンピオンとなったのち日本チェス協会設立の発起人も務めるなど、日本のチェス界に大きく貢献した人物です。
ここまで辻仁成さんの家族・親類を紹介してきましたが、改めて振り返ると芸術や執筆の分野で秀でた方が数多くいらっしゃいますね。
公になっていないだけで、他にも才能豊かな親戚がいる可能性は十分にありそうです。
辻仁成の実家はお金持ち?
ここからは、辻仁成さんのご実家について調べた内容をお伝えします!
辻仁成の実家の場所は福岡県福岡市
辻仁成さんの出身は、東京都南多摩郡日野町(現在の日野市)です。
父親の転勤に伴い福岡県福岡市、北海道帯広市・函館市と各地を移り住んだそうですが、現在のご実家は福岡県福岡市にあるとのことです。
2023年、福岡県福岡市で公演を行った際、辻仁成さん本人が



やった、実家のある福岡での追加公演が決まったぞ。まさに親孝行ライブだ!
と、喜びの気持ちをつづっていました。
具体的な所在地は公表されていませんが、実家には母・辻恭子さんが一人暮らしをしており、すぐ近くには弟の辻恒久(つじつねひさ)さんが住んでいるそうです。
参考までに、辻仁成さんが住まいを移してきた経緯をまとめると以下の通りです。
- 誕生から幼稚園まで・・・東京都(大規模団地の多摩平団地に居住)
- 幼稚園から小学5年生まで・・・福岡県福岡市
- 小学5年生から中学3年生まで・・・北海道帯広市
- 中学3年生から高校卒業まで・・・北海道函館市
- 大学進学後・・・東京都(成城大学経済学部に進学するも、のちに中退)
学生時代は転校続きだったこともあり、環境の変化に伴う苦労も少なくなかったのではないでしょうか。
ちなみに、辻仁成さん自身は2003年よりフランス・パリへと拠点を移し、現在に至るまで現地を中心に活動を続けています。
辻仁成の実家はお金持ち?
辻仁成さんのご実家の経済状況を調べてみたところ、かなり裕福な家庭であったことが見えてきました。
辻仁成の父は地主の血筋で、大手損保会社のエリート社員だった
辻仁成さんの父にあたる辻信一(「つじのぶかず」または「つじしんいち」)さん。
辻仁成さんいわく、



父の家系は代々地主だったんだ。
とのこと。
父・辻信一さん自身は日新火災海上保険に勤め、一時期は次期社長候補と噂されるほど優秀な社員だったといいます。
辻仁成さんの言葉を借りると、



自分や家庭を犠牲にしてでも働き詰めになる、いわゆる猛烈社員だった
というほど、仕事への打ち込み方は尋常ではなかったようです。
父・辻信一さんが現役だった時代はちょうど高度経済成長期の真っただ中で、働いた分だけ収入が伸びていく時代でもありました。
こうした出自や優秀な社員であった経歴、時代背景を合わせて考えると、辻家の所得・資産はかなり大きかったと推測できますね。
母・辻恭子はいわゆる社長令嬢
先述の通り、母方の祖父・今村豊さんは地元の名士であり、今村製鉄所の社長を務めていた人物です。
母・辻恭子さん自身は主婦業を中心にされていたと考えられますが、実家に潤沢な資産があったことは間違いなさそうです。
こうした情報を合わせて考えると、辻仁成さんのご実家はかなりの資産家だった可能性が高そうですね。
辻仁成さんやその一族は、それぞれの才能を発揮しながら資産を築いてこられたのですね。
辻仁成の実家の両親(父・母)はどんな人?
ここでは、辻仁成さんのご実家のお父さん・お母さんについても詳しく調べてみました!
辻仁成の父親はエリート社員で厳しかった!
辻仁成さんの父・辻信一(「つじのぶかず」または「つじしんいち」)さん(写真左)。


結婚式の際に撮られたとみられる写真で、心なしか表情が硬いですよね。
ここから、父・辻信一さんの人物像を紹介していきます。
辻仁成の父・辻信一はエリートサラリーマンだった
父・辻信一さんの出身は福岡県です。
父・辻信一さんは日新火災海上保険に勤務し、一時は将来の社長候補にも挙げられるほどの優秀な社員だったそうです。
しかし、



父は仕事の鬼だったけれど、社内競争に敗れ、最後は窓際族になってしまった。
と辻仁成さんが振り返るように、結局父・辻信一さんが社長の座に就くことはありませんでした。
多忙を極めていたため一緒に遊んでもらった記憶はほとんどないそうですが、辻仁成さんは家族のために身を粉にして働いてくれた父・辻信一さんに、今も感謝の気持ちを抱いているといいます。
辻仁成の父・辻信一は厳格だが芯は優しかった
仕事に生きた父・辻信一さんはかなり厳格な人物だったそうで、



父と遊んだ記憶はほとんどないんです。抱っこしてもらった記憶も、腹を割って話した記憶もない。(中略)逆に怒鳴られた記憶や、びくびくしながら過ごした記憶ならたくさんあります。
と、辻仁成さんは振り返っています。
父・辻信一さんが家にいる日曜日は気が重く、顔を合わせないよう逃げ回っていたそうです。
その一方で、父・辻信一さんから授かった、



「人様に迷惑をかけるな」「人のものを欲しがるな」「手に職をつけろ」
という3つの教えは、今でも辻仁成さんの心に深く刻まれているといいます。
そんな、恐れながらも心のどこかで尊敬していた父・辻信一さんは、2007年4月に病のため世を去りました。
お墓は福岡県大川市に建てられているそうです。
母・辻恭子さんの見立てでは「(社長になれなかったことを)悔しく思っていた晩年だったのでは」とのことですが、当人は周囲に弱音を見せることなく、晩年はむしろいつも笑顔だったそうです。
息子が作家として世に出たことを心から喜び、博多の書店を巡っては「うちの息子なんですよ」と自慢していたといいます。
辻仁成さんがデビュー前にお金に困り母・辻恭子さんを頼った際にも、実は裏で父・辻信一さんが資金を用立ててくれていたこともあったそうです。
父・辻信一さんは、息子を前にすると照れくささから素直になれず、つい厳しい態度をとってしまっていたのかもしれませんね。
辻仁成の母親は弁士で多才!
辻仁成さんの母・辻恭子(つじきょうこ)さん(写真左)。


2026年6月で91歳を迎える母・辻恭子さんは、辻仁成さんのブログにたびたび登場し、数々のエピソードが語られています。
辻仁成の母・辻恭子の出身は福岡県大川市大野島!
母・辻恭子さんは1935年、福岡県大川市大野島の名士の家に生まれています。
母・辻恭子さんの故郷である大野島は、筑後川の河口付近に位置する島です。
島の北側は「大野島」として福岡県大川市に、南側の「大詫間(おおだくま)」は佐賀県佐賀市に、それぞれ属しているのが特徴です。
厳密には川の中州にあたるのですが、2つの県にまたがる中州というのは全国でここだけなのだとか。
もともとは2つの三角州として別個に存在しており、これを挟む柳川藩と佐賀藩が領有権を巡って争っていたそうです。
最終的には現在の大野島を柳川藩、大詫間島を佐賀藩がそれぞれ治めることで決着しました。
しかし、その後も土砂の堆積は進み、2つの三角州はやがて陸続きとなり、1つの三角州へと姿を変えます。
廃藩置県後もその境界線は引き継がれ、現在の形に至っているというわけです。
辻仁成の母・辻恭子は雄弁で、強くも優しい!
辻仁成さんの母・辻恭子さん(写真右)。


母・辻恭子さんは子どもの頃から池坊流の華道を習っており、その腕前は大人も驚くほどだったといいます。
また、非常に弁の立つ方で、高校生の頃に名古屋で開催された全国弁論大会に福岡県代表として出場。
弁の立つ片鱗は幼い頃からあったようで、中学時代には全校生徒の前で堂々と弁論を披露したり、弁論部として出場した九州大会で3位に入賞したりもしています。
地元でアイドル的な人気を集めた母・辻恭子さんは、集会や講演会、弁論大会にひっぱりだこで、郵便局のポスターに起用されたこともあったそうです。
父・辻信一さんの言葉によると、



話の中身ももちろん良かったけど、それ以上にあの気迫がすごかった。母さんには人の心をわしづかみにするような迫力と、強い説得力が備わっていたんだよ。
とのこと。
結婚後は料理の腕前を開花させて教室の講師を務めたほか、得意の刺繍でも講師をしていたようです。
多才で知られる辻仁成さんをもってしても、



子どもの頃から、この人は普通の人じゃないなと感じていた
と言わしめるほどの母・辻恭子さんです。
母・辻恭子さんの存在は辻仁成さんに大きな影響を与え、現在の活躍にもつながっているのですね。
辻仁成の両親のエピソードも紹介!
辻仁成さんは著書やブログを通じて、ご両親にまつわるエピソードを数多く紹介しています。
辻仁成の母・辻恭子は強い
多彩な才能を持つ母・辻恭子さん。
父・辻信一さんはそんな妻の才能を尊敬しつつも、少々煙たく感じることもあったようです。
母・辻恭子さんはとりわけ弁が立ち、大きくはきはきとした声で意見をはっきり述べる、説得力のある人だったそうです。
夫婦げんかをすることもあったご両親ですが、



口論になると、いつも母さんが圧倒していた。でも母さんのいいところは、父さんを徹底的に追い詰めたりはしないところだった。
と辻仁成さんは当時の様子を懐かしそうに振り返っています。
母・辻恭子さんは、



人にとって一番大切なのは、他人への尊敬の気持ちです。自分の方が話が達者でも、相手を追い詰めてはいけません。(中略)お互いを敬い合うことこそが大事なのですよ。言葉で勝つのではなく、心で和解しなさい。
と、いつも子どもたちに言い聞かせていたそうです。
こうした母・辻恭子さんの言葉の数々は、今もなお辻仁成さんの心に刻まれるほどの影響力を持っているのですね。
辻仁成の父・辻信一は、母・辻恭子に惚れ込みすぎて外出を制限した
ご両親の結婚のいきさつを、母・辻恭子さんは次のように語っています。



本当は他に好きな人がいたのに、結納金を手に強引に押しかけてきて、半ば奪うようにして結婚させられたのよ
とのことですが、これはあくまで母・辻恭子さん側の言い分であり、真偽のほどは確かめられていないと辻仁成さんは断っています。
父・辻信一さんは高校生の頃、母・辻恭子さんの評判を耳にして地元の弁論大会をわざわざ見に行ったそうで、



父さんが母さんに一目惚れしたのは、きっとその時だったんだろうね。
と辻仁成さんは語っています。
聡明で地元の人気者だった母・辻恭子さんを、父・辻信一さんはとにかく溺愛していたそうです。
東京での新婚生活が始まると、父・辻信一さんは次第に母・辻恭子さんの外出を制限するようになっていき、



外の世界は物騒だ。変なことを言ってくる輩ばかりなんだから。(中略)いいかい、鍵をしっかりかけて、僕が帰ってくるまでは外に出ないように。
と言い聞かせていたそうです。
それでも辻仁成さんの目には、両親は仲のいい夫婦として映っていたようです。
それに、母・辻恭子さんも黙って家に閉じこもっていたわけではありませんでした。
最初は頼み込んで華道の稽古に通っていたものの、それも制限されると、今度は団地の住人たちと親しくなることで外の情報を集めるようになったのです。
そうして得た情報をもとに母・辻恭子さんが取り組んだのが、世間で食べられている料理を研究し、自宅で再現することでした。
洋食がまだ一般的ではなかった時代であったにもかかわらず、



母さんは僕ら兄弟のために、毎晩ハンバーグやシチュー、カルボナーラ、魚の欧風グリル焼きなんかをこしらえてくれた。
と辻仁成さんは打ち明けています。
限られた情報しかない中でこれだけの料理を仕上げられたのは、並々ならぬ努力と才能があってこそでしょうね。
父・辻信一さんの愛情表現は少し行き過ぎにも見えますが、あれだけ弁の立つ母・辻恭子さんが素直に従っていたということは、それだけ夫婦仲が良好だった証なのでしょう。
辻仁成の兄弟姉妹も調査!
続いて、辻仁成さんに兄弟姉妹がいるのかどうかも調べてみました!
辻仁成の兄弟は弟!!
辻仁成さんには、弟さんが1人いらっしゃいます。
辻仁成の弟・辻恒久は元マネージャーのしっかり者
辻仁成さんの弟にあたる辻恒久(つじつねひさ)さん(写真中央)。
2026年には64歳を迎えられます。


兄・辻仁成さんや母・辻恭子さんからは「恒ちゃん」と呼ばれて親しまれており、兄の仕事のサポートもされています。
弟・辻恒久さんは未熟児として生まれ、幼い頃は兄・辻仁成さんの後をぴったりついて回っていたそうですが、



僕には、お兄ちゃんみたいな弟が一人いるんです。
と、辻仁成さんはその弟のしっかり者ぶりを評価していました。
弟・辻恒久さんは福岡県福岡市の実家の近くに居を構え、母・辻恭子さんの面倒を見ているそうです。
母・辻恭子さんは、



あの子はほんとにすごかとよ。毎日、わたしに美味しいごはんば作ってくれると。なんまんだ。
と、嬉しそうに話していたそうです。
弟・辻恒久さんいわく、母・辻恭子さんの言動は「制御不能」なのだそうですが、母を敬い慕う気持ちは兄・辻仁成さんと変わらないのでしょうね。
辻仁成の弟・辻恒久も多才ぶりを発揮!
千葉工業大学を卒業したのち、AKAI電気で設計の仕事に携わり、その後ラジオ制作会社に入社しています。
その制作会社も退社したのちは、兄・辻仁成さんのマネージャー兼運転手を務めていました。
その後は地元・福岡県に戻り、FM局でディレクター職に就いていたそうです。
さらに陶芸家としての道にも進みましたが、兄・辻仁成さんに誘われる形で個人事務所の代表を務めています。
写真は、弟・辻恒久さんが手掛けた洋陶器のランプです。


ちなみにこの個人事務所、会長を務めるのは母・辻恭子さんなのだそうです。
2021年には電子書籍レーベル「DesignStoriesBooks」の販売配信企画の責任者として、兄・辻仁成さんの著作を世に送り出しています。
弟・辻恒久さんも、なかなかの多才ぶりですよね。
辻仁成の弟・辻恒久は結婚歴があるものの現在は独身
弟・辻恒久さんについて、辻仁成さんは2021年のブログで



兄として、独り身の弟に働く楽しさを思い出させてやりたくて
とつづっています。
ところが2008年11月、ある尺八奏者のブログには、「諌山宗家のご令嬢」と弟・辻恒久さんの結婚披露宴の様子がつづられていました。


記事では、弟・辻恒久さんはプロの陶芸家として紹介されており、兄である辻仁成さんも出席して代表挨拶をしたと記されています。
この「諌山宗家」というのは、福岡県にある吟詠(詩吟)の流派の宗家にあたります。
良家のお嬢様と46歳前後で結婚したとみられますが、その後離婚に至り、現在は独身の身であるようです。
辻仁成の2026年現在の活動と家族の近況
ここからは、2026年現在の辻仁成さんとご家族の近況についても触れておきます。
辻仁成さんは作家業やミュージシャン活動に加えて画家としての顔も持ち、2025年には個展「Le Visiteur」を東京・日本橋三越本店を皮切りに岡山、パリでも開催しています。
さらに2026年2月には、パリを拠点とする講師陣が芸術を教える「帝京×パリ、オンラインアートカレッジ」の校長に就任したことも明らかになりました。還暦を過ぎてなお、多方面での活躍がとどまるところを知りませんね。
次男・辻十斗さんは2026年で22歳となり、引き続きフランスの大学で学業に励んでいるようです。在学先について本人や辻仁成さんは明言していませんが、一部では「ソルボンヌ大学ではないか」とも言われています。ただ、確証のある情報ではないので、あくまでも噂話程度にとどめておくのが良いでしょうね。
母・辻恭子さんは2026年6月で91歳を迎え、変わらず福岡のご実家で元気に過ごされているようです。弟・辻恒久さんが近くに住んで身の回りを支えており、家族の絆は今も健在といえそうですね。
まとめ
今回は辻仁成の家系図が凄い!?実家は金持ちで両親や兄弟など家族も調査!
というわけで、辻仁成さんのご実家や両親(父・母)、兄弟姉妹といったご家族についての記事をお届けしました。
- 辻仁成の家系は芸術・執筆に秀でている
- 辻仁成の実家は福岡県福岡市にあり、お金持ちの可能性が高い
- 辻仁成の父親はエリート社員で厳しかったが、母親は弁士で優しく強い
- 辻仁成の弟はしっかり者で多才
- 元妻・中山美穂さんは2024年に逝去、辻仁成さんと息子・十斗さんは今も互いに支え合っている
- 辻仁成さんは2025年に個展開催、2026年にはオンラインアートカレッジの校長にも就任するなど活動は多方面に広がっている
以上のような内容が明らかになりました。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。