お笑いトリオ「ぱーてぃーちゃん」のメンバー・信子(のぶこ)さん。(本名:大野信子)

「ギャルとチャラ男のパリピ漫才」を武器にするトリオで、信子さんのポジションはボケ。「アゲみざわ信子」という名前でピン芸人としても活躍されていますよね。
そんな信子さんですが、育った実家やお父さん・お母さんって、いったいどんな方達なのでしょうか?
今回はぱーてぃーちゃん信子の実家が金持ち過ぎてヤバい!本名や家系図画像に先祖も調査!
ということで、ここでは信子さんの実家・ご両親・兄弟姉妹といった家族まわりの情報を、まるごと調べてみました!
目次
ぱーてぃーちゃん信子(大野信子)の実家はお金持ち?
それではまず、信子さんの実家まわりから見ていきましょう!
ぱーてぃーちゃん信子の実家の場所は大分駅東側の地域?
大阪府堺市出身、大分県大分市育ちの信子さん。
ご実家は今も大分市内にあるそうです。
信子さんご本人の話によると、大分市内で暮らしていたのは、
- 庭・中庭付きの大きな戸建て(時期は不明。記憶にないほど幼い頃?)
- 賃貸マンション「エンブレム顕徳」(小学生の頃~?)
- お母さんが経営していた賃貸マンションの最上階ワンフロア(お父さんが亡くなった15歳以降)
という、少なくとも3軒に住んでいたことを明かしています。

上の地図は、信子さんの母校である大分市立上野ヶ丘中学校の通学区域を示したものです。
このエリアは大分市の中心部にあたり、東端に大分駅、北端に府内城跡、南には古国府(ふるごう)駅があるという立地です。
少なくとも中学時代までは、この地図の範囲内に信子さんの実家があったとみてよさそうですね。
信子さんが小学生の頃に暮らしていたマンションは、テレビ番組「わたしの通学ロード」(カンテレ/2024年3月11日放送)でも紹介されていました。

そのマンションというのが、大分市顕徳町(けんとくまち)2丁目に建つ賃貸マンション「エンブレム顕徳」なんですね。
大分駅まで徒歩12分という、なかなか便利な場所にあります。
物件情報をのぞいてみると、6階建てなのに掲載されているのは1~5階分の情報だけ。
しかも、その間取りはすべて1Kだったんです。
賃貸マンションでは、最上階のワンフロアまるごとが1つの住まいになっているケースもあるんですよね。
信子さんのお父さんは不動産業を手がけていたようなので、ひょっとすると、マンションのオーナーとして最上階に住んでいたのかもしれませんね。
なお、このマンションは母校・上野ヶ丘中学校の校区内にあり、線路をはさんで学校とは反対側にあたります。

ここで暮らしたあと、信子さん一家は少なくとも1回は引っ越しをしているようです。
ここまでの内容をまとめると、今も実家が大分市内にあるのは確かなものの、それが母校周辺のエリアなのかどうかまでは言い切れない、というのが実情のようですね。
ぱーてぃーちゃん信子の実家はお金持ち?
続いて、信子さんの実家の経済事情についても調べてみました。
先に結論からお伝えすると、信子さんの実家はかなりのお金持ちのようです!
そのことがうかがえる4つのエピソードを、順にご紹介していきますね。
ぱーてぃーちゃん信子の亡き父は「徳川家末裔」と語られるが…報道ベースでは別の顔も
あちこちで話題にのぼっているのが、信子さんの亡きお父さんの家系が、徳川家の末裔だと語られていること。

本当ならまさに名家の出ということになり、それだけでも相当な財力を持っていたのでは、と想像してしまいますよね。
ただ、この「名家だからお金持ち」という説については、少し冷静に確かめておく必要がありそうなんです。
というのも、信子さんのお父さんについては、週刊誌やWikipediaなどで「信貴久治(しぎ ひさじ)さん」という実名とともに、波乱に満ちた経歴が報じられているんですね。
報道をたどっていくと、徳川末裔という華やかなイメージとは少し違った姿が見えてきます。そのあたりは、のちほどお父さんの章であらためて検証してみますね。
先に結論だけお伝えしておくと、信子さんのご家族の富は「徳川家の末裔だから」というより、お父さんが堺で立ち上げた事業によって一代で築かれたもの、というのが実際のところのようです。
ぱーてぃーちゃん信子は大阪府堺市で33億円の大豪邸に住んでいた
大阪府堺市で事業を軌道に乗せた、信子さんのお父さん。
そんなお父さんが建てたのが、なんと33億円ともいわれる大豪邸なんです!
敷地の広さも、とんでもないものだったのだとか。

このイラストだと、母屋がもはやお城のように描かれていますよね。
どれだけ広大だったかがうかがえるエピソードとして、信子さんはこんな話を披露しています。
ぱーてぃーちゃん信子門を入ると車で移動していた。母屋と離れの間に林があり、そこで遊んでいたところ迷子になってしまい、庭師に母屋まで送り届けてもらった。
と、当時を振り返っているんです。
豪邸の外観がわかる写真こそ見当たりませんでしたが、家の中とみられる1枚は見つけることができました。


ソファやショーケースといった調度品からにじみ出る高級感が、もうただ事ではないですよね。
そして、この大豪邸は今ではお寺になっているのだとか。
信子さんが3歳の頃には、お父さんの仕事の都合で一家そろって大分県へと引っ越します。
そして移り住んだ大分で建てたお家も、これまたかなりの大きさだったようで、



庭と中庭、小屋もあった。一軒家にしたらだいぶデカい方だと思う。
と、信子さんはその大きさを語っています。
さらに、ご実家にはお手伝いさんもいたそうで、信子さんが床に落ちていた物を拾おうとすると、



拾ってくれる人がいるから拾わなくていい!
と、お父さんから言われたこともあったのだとか。
庶民の感覚からするとちょっと驚いてしまいますが、お父さんなりに「お手伝いさんの仕事を奪ってはいけない」という考えがあったのかもしれませんね。
ぱーてぃーちゃん信子のお小遣いとお年玉が破格だった
信子さんは、お父さんが亡くなる15歳頃まで、お金に困った記憶がまったくないのだそうです。
というのも、小学生の頃から毎月のお小遣いが、なんと1万円だったというのです!
さらに、お正月にもらっていたお年玉はというと、



親からは10万円。親戚と併せて50万円。
と、こちらも桁違いの金額だったそうですよ。
とはいえ、欲しいものはその都度なんでも買ってもらえていたため、もらったお小遣いやお年玉はそっくり貯金にまわっていたのだとか。
やはり、金銭感覚が一般家庭とはかなりかけ離れていたようですね。
ぱーてぃーちゃん信子の母親と祖母はマンションを経営している
信子さんのお父さんが亡くなったあとは、お母さんが中心となってお父さんの事業を引き継ぎました。
お父さんは事業を会社(法人)として営んでいたそうですが、お母さんはその法人を清算したうえで、個人として不動産事業を続けていきます。
しかも、その事業は信子さんの母方の祖母も手伝っているのだそうですよ。
お母さんが経営しているマンションは、少なくとも5棟にものぼるそうです。
そのうちの1棟について、信子さんはこんなふうに語っています。


と、最上階のワンフロアをまるごと住まいにしていたことを明かしているんですね。
また、お父さんが亡くなったあとの暮らしぶりについては、



お金持ちまではいかなくとも、不自由なく暮らせていた
と、信子さんは控えめに振り返っていますが、実際にはお父さんの遺産やお母さんの不動産収入が、暮らしを大きく支えていたと考えられますね。
しかもお母さんは、もう15年以上もマンション経営を続けていることになるので、お母さん自身にもしっかりとした商才があったといえそうです。
ここまでの話を総合すると、信子さんが幼い頃のご実家は、たしかにかなり裕福だったといえそうです。
ただし、この「お金持ち」というエピソードには続きがあります。報道によると、お父さんの会社は最終的に多額の負債を抱えて倒産し、あの大豪邸も人手に渡ってしまったと伝えられているんですね。
つまり、幼少期の桁違いに豊かな暮らしは本当だったとしても、その富がそのまま今も続いている、と言い切れるわけではなさそうなんです。このあたりの事情は、次のお父さんの章で報道をもとに整理してみますね。
名家にルーツがあると語られ、幼い頃はお嬢様暮らし。それでいてギャルでお笑い芸人という、とんでもないギャップの持ち主である信子さん。
波乱万丈なご実家の事情を、笑いに変えてオープンに語ってしまうところも、信子さんの大きな魅力ですよね!
ぱーてぃーちゃん信子(大野信子)の実家の両親(父・母)はどんな人?
ここからは、信子さんを育てたお父さん・お母さんについても掘り下げていきますね!
ぱーてぃーちゃん信子の父親「信貴久治」とは?報道ベースで経歴を検証
信子さんご本人の番組トークでは、お父さんのお名前やお顔写真までは公表されていません。
ただ、週刊誌やWikipediaなどの報道では、信子さんの旧姓「信貴(しぎ)」と同じ姓の「信貴久治(しぎ ひさじ)さん」という人物が、信子さんのお父さんとして取り上げられているんですね。
ここからは、その信貴久治さんについて報じられている内容を、「噂や本人談」と「報道で確認できる事実」を分けながら、できるだけ冷静に検証していきますね。
報道で伝えられる父・信貴久治さんの経歴とは
まず、信子さんご本人が番組で語っているのは、お父さんが大阪府堺市で事業を手がけ、「土地を転がしていた」=不動産を扱う仕事をしていた、というお話です。



土地を転がしていた
一方で、週刊誌やWikipediaなどの報道では、お父さんとされる「信貴久治さん」について、もう少し踏み込んだ経歴が伝えられているんですね。
報道によると、信貴久治さんは観光会社(大洋観光)の代表取締役会長で、もともとは大阪府堺市でキャバレーや飲食店などの経営から身を起こし、財を築いた事業家だったとされています。
さらに報道では、若い頃には「信貴組」という組織の組長だった時期があり(この組織は1960年に解散したと伝えられています)、その後は実業の世界で名を上げていった、という経歴も紹介されています。
また、「泉州の角栄」を志して、1976年の衆議院選挙(大阪府第5区・無所属)に出馬したものの落選。その選挙をめぐって買収が発覚し、公職選挙法違反で逮捕され、実刑判決を最高裁まで争った、とも報じられているんですね。
そして報道によれば、刑が確定したあとの収監直前に姿を消し、約3年間の逃亡生活を送ったのち、1996年に大分県内で確保されたという、なんとも波乱に満ちた過去まで伝えられています。
さらに事業の面でも、会社は約350億円もの負債を抱えて1991年に倒産し、自宅も競売にかけられたと報じられているんです。あの「33億円の大豪邸」が今はお寺になっている、という話とも、どこかつながってくるエピソードですよね。
ここまでが、報道で伝えられているお父さんの経歴です。かなり衝撃的な内容も含まれますが、これらはいずれも過去の出来事として報じられているもの。信子さんが1992年生まれであることを考えると、選挙や倒産といった出来事の多くは、信子さんが生まれる前後の、ずいぶん昔の話だということになりますね。
そして何より、お父さんの過去と、今の信子さん自身は、まったくの別もの。信子さんは、こうした複雑な家庭の事情さえも明るく笑いに変えて、トークやネタとしてオープンに語ってくれる方です。そのたくましさやユーモアこそが、たくさんのファンに愛されている理由なのでしょうね。
ぱーてぃーちゃん信子の父親の家系は本当に「徳川家の末裔」?
「ぱーてぃーちゃん信子は徳川家の末裔」というのは、今や信子さんを語るうえで外せないエピソードですよね。
ただ、この徳川末裔説についても、「どこまでが確かな話なのか」を一度立ち止まって確かめておきたいところです。まずは、信子さんがどう語っているのかを見ていきましょう。
信子さんによると、父方の曾祖母(ひいおばあさん)が嫁ぐまでは「徳川」姓だった、というんですね。
そもそも徳川家には、初代将軍・徳川家康の男子を始祖とする「尾張徳川家」「紀伊徳川家」「水戸徳川家」という、3つの分家から成る「徳川御三家」が存在します。


信子さんいわく、実家には徳川家康から始まる家系図があるそうで、
- 信子さん自身が「徳川吉宗の直系」だと明かしていること
- お父さんが、大阪に代々続く徳川の血筋とされていること
この2点を踏まえると、信子さんは「紀伊徳川家」の流れを汲む家系なのではないか、と考えられますね。
下の画像は、現代までの「紀州徳川家」の家系図です。


歴代将軍を生み出してきた「紀伊徳川家」は、明治維新後に華族として侯爵の位を授けられ、戦前は日本でも有数の富豪として知られていました。
ところが、1954年に亡くなった徳川頼貞(とくがわよりさだ)さんの散財などが響き、その勢いは次第に衰えていきます。
そのため、旧侯爵家としての徳川家は事実上の断絶状態にある、とする見方もあるようです。
とはいえ、現在は徳川頼貞さんのお孫さんにあたる徳川宜子(とくがわことこ)さん(19代)が当主を務め、徳川御三家の当主による座談会にも顔を出しているそうです。
信子さんの曾祖母が、この家系図のどこで枝分かれしたのかまではわかりませんが、もし世が世なら、信子さんは「お姫様」と呼ばれていたかもしれませんね。
ちなみに、信子さんの実家には、今も徳川家ゆかりの甲冑などが大切に保管されているのだとか。
ただ、ここはしっかり釘を刺しておきたいところなんです。こうした「徳川家末裔」という話は、あくまで信子さんご本人が語っている内容で、確証のある情報とまでは言えません。
それどころか、報道によると、信子さんのお父さん(信貴久治さん)の40歳ほど年上のお兄さんが、週刊誌の取材に対して「徳川家の末裔という話は聞いたことがない」という趣旨の発言をしているとも伝えられているんですね。
つまり徳川末裔説は、身内からはむしろ否定されている、というのが現状です。ご家族の富も、「徳川家の末裔だから」ではなく、お父さんがご自身の事業で一代のうちに築いたものと整理するのが、報道ベースでは自然なところですね。
とはいえ、家系図や甲冑のお話も含めて、ここはまだ謎の多いところ。あくまで噂話のひとつとして、そっと受け止めておくのがよさそうですね。
ぱーてぃーちゃん信子の母親はマンション経営者で再婚している?
信子さんの母・百合(ゆり)さん。


なんとも笑顔が素敵で、美人なお母さんですよね!
信子さんの旧姓が「信貴(しぎ)」であることから、お母さんも、おそらく「信貴百合さん」だったのではないかと考えられますね。
ぱーてぃーちゃん信子の母親はマンション経営者
母・百合さんは、大分県のご出身です。
信子さん一家が大阪府から大分県へ移り住んだのは、お父さんの仕事の都合もありましたが、母方の祖母が近くにいることで子育てがしやすくなる、という判断もあったのだそうです。
大分での暮らしの中で、母・百合さんは事業を営むご主人の、秘書のような役割を担っていました。
そしてご主人が亡くなったあとはその事業を引き継ぎ、現在は少なくとも5棟のマンションを経営しているといいます。
ご主人を亡くしたあと、二人三脚で支え合ってきた信子さんと母・百合さんの絆はとても深く、信子さんは「百合さんと同じお墓に入りたい」という理由から、一時は結婚を保留にしていたほどだったそうですよ。
今は東京と大分とで離れて暮らしているものの、母・百合さんと祖母は、テレビやYouTubeを通して信子さんの活躍をいつも応援してくれているそうです。
ぱーてぃーちゃん信子の母親は再婚している?
あるテレビ番組では、信子さんが旦那さんと一緒に実家へ帰省したときの写真が紹介されていました。


このとき、右から2番目、信子さんの隣に写っている男性が誰なのかについては、番組内で説明されたのかどうかも含めてはっきりしていません。
ただ、家族の一員としてこの写真に収まっていること、そして信子さんが亡くなったお父さんのことを、



初期おとん
と呼んでいたことから、もしかすると写真の男性は、母・百合さんの再婚相手=「2人目のおとん」なのかもしれませんね。ただ、これはあくまで写真から推測しただけの話で、確かな情報があるわけではないので、噂程度に受け止めておくのがよさそうです。
信子さんはご自身の生い立ちなどをオープンに語ってくれる方なので、ここはご本人の口から語られる日を、そっと待ちたいですね。
ぱーてぃーちゃん信子の両親のエピソードも紹介!
ぱーてぃーちゃん信子さんは、お母さんにまつわるエピソードもたくさん披露してくれているんです。
ぱーてぃーちゃん信子の母親はよく食べる!
信子さんによると、母・百合さんはとにかくよく食べる方だそうで、信子さん一家は大分のソウルフード「鳴門うどん」にしょっちゅう通っていたのだとか。
あるとき、母・百合さんはなんと「トリプル(うどん3玉・900g)と天丼のセット」をペロリと完食してしまったそうです!



「俺の胃袋は宇宙だ」
と、当時流行っていたドラマ「フードファイト」(草彅剛さん主演)の主人公の決めゼリフで、見事にフィニッシュしたのだとか。
それを見ていた信子さんは、



やったね!
と、すかさず応じたのでした。
ぱーてぃーちゃん信子は母親の白髪染めで初めて髪を染めた
子どもの頃から、自他ともに認める「ギャル」だった信子さん。
お母さんの茶色っぽい白髪染めがうらやましくなり、小学5、6年生の頃に「髪を染めてみたい」と母・百合さんに相談したそうです。
すると、



毛先だけしてみたら
と、母・百合さんはあっさり承諾。実際に染めてしまったのだそうですよ。
なんとも自由度の高い、おおらかなご家庭ですよね。
ぱーてぃーちゃん信子の好きなKinKi Kidsをみんなで大合唱!
母・百合さんはドライブがお好きで、信子さんや祖母を乗せて、よく宮崎方面までドライブに出かけていたそうです。
あるとき、ドライブのお供にと、信子さんが大好きなKinKi Kidsのカセットテープを持ち込みました。
ところが、そのカセットテープがなんと1本しかなく、行きも帰りも延々とKinKi Kidsを聴き続けるハメに。
その結果、信子さんはもちろん、最後には母・百合さんも祖母も、全員でつい口ずさんでしまっていたんだとか。
そのあとも、それぞれ1週間ほど歌い続けていたそうで、信子さんの祖母にいたっては、



なんでKinki Kidsの歌ばっかり私出るんやろう?
と、すっかり困惑してしまっていたのだそうですよ。
ぱーてぃーちゃん信子の母親は昔から芸人になることを勧めていた!
子どもの頃から、口にする発言がいちいち面白かったという信子さん。
そんな信子さんのおもしろ発言を、母・百合さんは「信子語録」と名づけて、日記にせっせと書き留めていたそうです。
あるとき、あまりのおもしろさに、



お笑い芸人が向いちょる!お笑い芸人になりや!
と、芸人の道をすすめた母・百合さん。
ところが、それに対して信子さんは、



いや私はそんなのにはならない。読モになる。
と、きっぱり返したのでした。
ところが、ふたを開けてみれば信子さんはお笑い芸人になり、読モこそではないものの、グラビアに挑戦してモデルまで実現してしまいました。
結果として、図らずもどちらの夢も叶えてしまったんですね。
ぱーてぃーちゃん信子の母親は、娘からもらった思い出の品をすべて保存している
母・百合さんは、これまで信子さんから受け取った贈り物を、ひとつ残らず大切に保管しているそうです。
もらったハンカチは、もったいなくて使えず、包装紙に包まれたままになっているのだとか。
さらに信子さんは、子どもの頃、残業で忙しそうなお母さんを気づかって、手作りのアクセサリーを贈ったこともあったそうです。


「ままガンバレ」の文字に加えて、母・百合さんが書いたとみられる「手づくり」というメモまで見えますね。
こんな信子さんの優しさに、母・百合さんはきっと何度も救われてきたのでしょうね。
ぱーてぃーちゃん信子の母親は料理上手で、思い出の味は肉じゃが
信子さんは、お母さんの手料理の中でも、とりわけ肉じゃがが大好物なのだそうです。
母・百合さんは、最初のうちこそ肉じゃがを煮崩れしないように仕上げていたものの、



粉ふき芋状態のがいい
と信子さんがリクエストしたため、それ以降はグツグツと崩れるまでしっかり煮込むようになったのだとか。
また、お母さんの料理については、



たまにぶっとんだものを作っていた
と、こんなふうにも語っていた信子さん。
なんでも、お母さん手製のグラタンに車エビが丸ごと入っていて、両サイドから頭としっぽがニョキッと飛び出していたのだそうですよ。
たしかに見た目のインパクトは強烈ですが、味のほうはきっと絶品だったにちがいありませんね!
ぱーてぃーちゃん信子(大野信子)の兄弟姉妹も調査!
最後に、ぱーてぃーちゃん信子さんに兄弟や姉妹がいるのかどうかも調べてみました!
ぱーてぃーちゃん信子の兄弟は妹!!
調べてみると、信子さんには妹さんが1人いることがわかりました。
ただ、お名前や年齢といった詳しい情報までは公表されていません。
特に「年が大きく離れている」といった情報もないため、信子さんが1992年8月1日生まれで2026年6月時点では33歳であることを踏まえると、妹さんは20代後半~30歳前後あたりではないかと推測されますね。
子どもの頃から「明るいギャル」だったお姉さんを持つ、妹さん。
もしかすると妹さんも同じくギャルなのかもしれませんし、逆に、にぎやかなお姉さんをちょっと冷静に見ているタイプなのかもしれませんね。
どちらにしても、妹さんはお姉さんである信子さんの活躍を、きっと温かく見守っていることでしょうね。
まとめ
今回はぱーてぃーちゃん信子の実家が金持ち過ぎてヤバい!本名や家系図画像に先祖も調査!
ということで、信子さんの実家やご両親(父・母)、兄弟姉妹といった家族についてまとめてお届けしました。
- ぱーてぃーちゃん信子の実家は大分県大分市にあり、幼少期はかなりのお金持ちの家庭だったが、報道では父の会社倒産・豪邸の競売も伝えられている
- ぱーてぃーちゃん信子の父親は報道では「信貴久治」さんとされる事業家で既に故人。徳川家末裔説は本人談で確証なし(兄が否定)、報道では選挙違反での逮捕や会社倒産などの経歴も伝えられている。母親はマンション経営者で再婚している可能性も
- ぱーてぃーちゃん信子には妹が1人いるが、名前や年齢などの詳細は不明
- ぱーてぃーちゃん信子は1992年8月1日生まれで、2026年6月時点で33歳
以上のことがわかりました。
信子さんの住まいの移り変わりや、家系にまつわる詳しい話など、まだまだ気になる部分は多く残されています。
これから信子さんがさらに活躍していく中で、少しずつ語られていくのが楽しみですね!
それでは、最後までお読みいただき、本当にありがとうございました!