グルメ通としても知られるお笑いタレント、渡部建(わたべ けん)さん。

相方の児嶋一哉さんに声をかけられ、お笑いコンビ「アンジャッシュ」のツッコミ担当として芸能界入り。ピンでも豊富な知識を武器にグルメ番組やスポーツ、ラジオDJなど幅広く活躍してきました。活動自粛の時期を挟みつつ、その後は講演会やセミナーといった場で再び表舞台に姿を見せています。
そんな渡部建さんを育てたご実家や、お父さん・お母さんとは、いったいどんな方たちなのでしょうか?
今回は渡部建の実家は金持ち!父は東芝役員で母は名家出身!兄弟など家族も調査!
ということで、ここからは渡部建さんのご実家・ご両親・兄弟姉妹といった家族まわりの情報を、じっくり調べてみました。
渡部建の実家はお金持ち?
手はじめに、渡部建さんのご実家がどんな場所だったのかから見ていきましょう!
渡部建の実家の場所は東京都
渡部建さんが生まれたのは、東京都府中市です。
小学校へ上がる前までは、東京都府中市の分倍河原(ぶばいがはら)あたりに暮らしていたそうです。
その後、小学校は八王子市立片倉台小学校に通っていました。

八王子市立片倉台小学校 校区
・打越町、片倉町
そして、ABEMAのロケで足を運んだ場所のひとつが、八王子総合卸売センター(1974年創業)でした。

野菜から鮮魚までさまざまな食料品店が軒を連ね、一般のお客さんも買い物できる「八王子市民の台所」ともいえる存在です。
この卸売センターが、渡部さんのご実家の近くにあるのだとか。
近くには山もあったそうで、いわば八王子の自然に囲まれて育った少年時代だったようですね。
家のまわりにはカブトムシがいたそうで、虫捕りに夢中になったり、ツツジの花の蜜を吸ったりして遊んでいたのだとか。
さらに、近所の空き地にたくさん生えていたツクシを、お母さんがしょうゆで甘辛く煮てくれた一品を、よく口にしていたといいます。

八王子市といえば、23区を除いた東京都内の自治体のなかでもっとも人口が多いことで知られる街。
多くの有名人を送り出している土地でもあり、それだけ暮らしやすく人気のあるエリアなのでしょうね。
渡部建の実家はお金持ち?
渡部建さんは、幼いころのご自身を「お坊ちゃん」だったと振り返っています。
というのも、お父さんは一流企業の技術者で役員まで上り詰めたとされる方、お母さんは名家・エリート一族のお嬢さんという、なんとも恵まれたご家庭だったのです。
渡部建さんご本人はというと、小学生のころにリトルリーグの強豪である「八王子リトル」に所属していました。
高校へ進むまで9年間も野球を続けた、根っからの野球少年だったそうです。
大学受験では、机に向かったまま寝てしまう姿勢が続いて腰を痛め、椎間板ヘルニアを発症してしまいます。
結局、志望校には届かず、私立の神奈川大学経済学部を卒業されています。
神奈川大学経済学部 学費
・初年度納入金 ¥1,175,800
・学費(4年間)¥460万円
こうした情報を並べてみると、渡部建さんのご実家は、かなり裕福だった可能性が高そうですね。
お父さんは高度経済成長期からバブル期にかけての役職付きサラリーマンだったわけですから、収入面もかなり恵まれていたと想像できます。
加えてお母さんの生い立ちを踏まえても、家柄のよい環境ですくすく育ったのだろうな…と思えてきますね。
渡部建の実家の両親(父・母)はどんな人?
続いて、渡部建さんのお父さん・お母さんがどんな人物なのかも掘り下げてみました!
渡部建の父親は大手企業の技術者!
渡部建さんのお父さんは、東芝の府中工場の設計部門で腕をふるい、のちに役員まで上り詰めたと言われる、優秀な技術者だったそうです。
お名前は渡部新次郎(わたべ しんじろう)さんとおっしゃいます。

- 長崎県長崎市のご出身
- 昭和11年(1936年)生まれと言われている
- その父(渡部建さんの祖父)にあたる渡部重男さんは、長崎の問屋街で下駄問屋を営んでいたとされる
- 子どものころは三菱長崎造船所の船を眺めるのが楽しみで、やがて技術者になることを夢見た
- 長崎に原爆が投下された際には、疎開先から8キロもの道のりを歩いて家族を探し回った
- 成績も優秀で、九州大学工学部を卒業したとされる
東芝グループの北芝電機で常務取締役まで務めたとも伝えられているお父さん。
退職までに取得した特許の数は、なんと50を超えるとも言われています。
新幹線やリニアモーターカーの開発にも関わっていたのだとか。
そんなお父さんは、とにかく考え方が合理的な人だったそうです。
・漢字のテスト…人と同じ時間勉強して同じ点数では褒めてくれない。いかに少ない時間で大きな成果を出せるかにこだわる。
・登下校の道順…ちゃんと通学路を行きなさいではなく、『この公園を斜めに横断すれば早く行けるだろう』というようなことを言う人
こうしたお父さん譲りの発想が、アンジャッシュの代名詞である「すれ違い」コントのネタ作りに活きているのだといいます。
また、2018年放送の「アメトーーク!」島耕作芸人の回では、渡部さんが
自分の父親はまさに漫画の島耕作そのもののような人だと語っていました。
お酒もたばこもたしなまず、週末の接待ゴルフに備えて練習に励むような、生真面目な人だったそうです。
社内の派閥争いに敗れて取締役の座には届かず、北芝電機へ出向することになったとも語られています。
渡部さん自身、まるで漫画・島耕作の家庭で育ったような感覚だったと表現していました。
平日は仕事一筋、土日は接待ゴルフ――そんな日々だったといいます。
渡部建さん親父のことは尊敬しているけれど、こんな人生大変そうだと思って…
そんな父の背中を見て育ったからか、3人いる子どもたちは誰ひとりサラリーマンにはならなかったのだとか。
東芝といえば、名門のラグビー部や野球部を抱える企業でもあります。
お父さんがその東芝に勤めていたおかげで、渡部さんは幼いころから何度もラグビーや都市対抗野球の観戦に連れて行ってもらったそうです。
中学まで野球を続けていた息子のために、あるときは大阪出張のお土産に阪神タイガースの帽子を買ってきてくれたというお父さん。



それ以来、今も僕はタイガースファンです
受験勉強のさなかに椎間板ヘルニアを発症し、大学受験でつまずいてしまった渡部建さん。
原因は、勉強したままの体勢で机に突っ伏して眠ってしまう日が続いたことだったそうです。
一時はやけになりかけていた渡部建さんに、お父さんは一通の手紙を手渡したといいます。
そこに書かれていたのは、こんな言葉でした。
「人生は遠回りしたほうがいい」
この一言に、渡部さんは救われ、立ち直ることができたそうです。
のちに渡部建さんが世間を騒がせてしまった際にも、お父さんは、
「先方のご家族に恥ずかしい思いをさせたことをお詫びしないといけない。できることなら私が今すぐ飛んで行って土下座でも何でもしたいくらいだ」
と、妻である佐々木希さんの秋田のご親族を、真っ先に気づかったといいます。
秋田には、佐々木希さんのお母さん・おばあさん・二人のお兄さんが暮らしているとされています。
佐々木希さんのお父さんは、彼女が中学生のときに亡くなっているとのこと。
その後はお母さんが女手ひとつで3人の子を育て上げた、と地元では知られた存在なのだそうです。
渡部さんのお父さんは、そんな息子に対して、



ご家族とお義父さんの墓前でしっかり頭を下げてこい
と、きっぱり言い渡したのだそうです。
コロナ禍のまっただ中だった2020年当時、お父さんはすでに84歳というご高齢でした。
すぐに自分で動いて謝りに行くのは難しく、さぞかしもどかしい思いを抱えていたことでしょう。
ふだんは合理的な人とはいえ、こと「家族」を思いやる気持ちとなると、また話は別なのでしょうね。
渡部建の母親は名家のお嬢様
渡部建さんのお母さんは、渡部恵子(わたべ けいこ)さんとおっしゃいます。
- 旧姓は梅本恵子(うめもと けいこ)さん
- 料理がとても得意で、家庭料理の枠を超えるほどの腕前だったとされる
- 結婚前は大手保険会社に勤めていた
すごい系譜
渡部建さんの母方のルーツは、奈良県吉野にある「梅本家」だとされています。
・南北朝時代に足利尊氏に追われた後醍醐天皇を護る有力な豪族の一人
・明治維新まで小路村の代官を務めていた
・江戸時代に一旦剥奪された武士の身分を、河川工事などの功績により取り戻す
・本籍地隣の寺院「浄徳寺」の山号「梅元山」(ばいげんざん)は梅本姓から取った
(※山号…多くの寺院は山の中に建てられたことから、その山の名前を寺院の名前の前につける)
母の両親・兄弟
・父 梅本正倫:京都帝国大学を卒業。撫順のセメント会社の取締役、南満洲鉄道の参事、満鉄調査局次長などを歴任
・母 梅本とね:(旧姓・藤田とね)満洲の喫茶店で看板娘として知られた人。夫(享年50)を亡くしたあとは、女手ひとつで7人の子を育て上げた
・長男 梅本章夫:東京銀行の元副頭取で、のちにアメリカン・エキスプレス・インターナショナル日本支社長も務めた人物
・次男 梅本彪夫:TBSの元常務取締役
・長女 梅本靖子:客室乗務員を経て、アメリカ人と結婚し渡米。靖子・ジンメルマンとしてアメリカで暮らした
※その息子・JAYさんはDJとして活躍していると言われる(渡部さんの母方いとこにあたる)。
・次女 梅本恵子:渡部建さんのお母さん
・三男 梅本茂夫:富士紡ホールディングス(旧・富士紡績)の元代表取締役社長
家柄のよさだけでなく、一人ひとりが苦労を乗り越えて活躍してきた、まさに「華麗なる一族」といった顔ぶれですよね。
グルメ王の原点は「ホームメイド」と「オーガニック」
渡部さんが子どものころ、おやつはどれもお母さんの手作りだったそうです。
お母さんが焼いたくるみ入りのバナナケーキや、手づくりのプルーンジュースなど…。
お母さんは食に対する意識がとても高く、こんなこだわりがあったといいます。
・炭酸飲料や市販のお菓子はダメ
・食材はオーガニックが中心
・好き嫌いはNG
・野菜をたくさん
ポテトチップスや炭酸ジュースに憧れていた少年時代の渡部さんは、



なんでうちのおやつはこんな茶色いケーキなんだよ!炭酸が飲みたいのにふざけんなよ!
友達の家で出してもらったおやつをむさぼるように食べる姿を見て、



建君にお菓子をあげていないんですか?
心配になった友達のお母さんが、渡部さんのご実家に電話をかけてきたこともあったのだとか。
ですが渡部さんは、そうした子どものころからの経験や積み重ねが、今の自分に活きているのかもしれない、と思うようになったそうです。
今でもたまに実家へ帰ってお母さんの手料理を口にすると、やっぱり美味しいなと感じるのだとか。



やるな、おふくろ(笑)
今でこそ手に入りやすくなりましたが、渡部建さんが子どものころにオーガニック食材をそろえるのは、なかなか大変だったはずです。
それだけ、家族の健康を第一に考えて手をかけてくれていたのでしょうね!
渡部建の両親のエピソードも紹介!
お父さんが30歳のころ、満洲から引き揚げてきた梅本家の次女との間にお見合いの話が持ち上がります。
そして昭和42年にお母さんと出会い、その年の10月には結婚へと至りました。
こうしてお二人が結ばれ、渡部建さんたち兄弟が生まれていくわけですね。
自分の知らない親戚を探し出すバラエティ番組「はじめまして!一番遠い親戚さん」で明らかになった、意外な縁戚関係もあります。
山縣有朋


内閣総理大臣を2度務めたことで知られる、あの明治の元勲です。
渡部建さんのお母さん・梅本恵子さんの血筋をたどっていった結果、判明したものだそうです。
野際陽子


日本を代表する女優で、俳優・千葉真一さんの元妻としても知られる方です(お二人とも故人)。
こちらも、お母さんの家系図をたどっていってわかった縁だといいます。
こうした立派なご親戚・遠戚にまで迷惑が及んでしまうと考えたのかもしれませんが、
週刊誌に記事が出そうになった際には、数百万円を払って表沙汰にならないよう動いたとも言われています。
当時はわからなかったものの、記事が掲載されたことによる経済効果は、なんと4億円にのぼったとされています!



そりゃそうだな。ガッツリ行くよな…
と、ご自身の見通しの甘さを反省していたのだとか。
渡部建の兄弟姉妹も調査!
最後に、渡部建さんに兄弟や姉妹がいるのかどうかも調べてみました!
渡部建の兄弟は兄と姉!!
渡部建さんには、お兄さんとお姉さんがいらっしゃいます。
渡部さんは3人きょうだいの末っ子。お兄さん・お姉さん曰く、幼いころは「とても可愛らしくて、我が家のアイドルのような存在だった」のだそうです。


兄・寛(ひろし)
お兄さんは、介護のお仕事に就いていると言われています。
姉・優子(ゆうこ)
お姉さんのご職業まではわかっていませんが、結婚されていて、お子さんもいらっしゃるそうです。
ちなみにお姉さんは、渡部建さんが2歳ごろの声をスマホに保存しているのだとか。
声変わりする前の声なんて、なかなか残せるものではないですよね。それだけ弟のことを可愛がっていた、ということなのでしょう。
お正月になると毎年、渡部建さんがこだわり抜いて選んだおせち料理を、お兄さん・お姉さんに振る舞っていたそうです。
ところが、そのおせちに対してお兄さん・お姉さんからは、
・味がイマイチ
・味付けが濃い



母のおせちのほうが美味しかった
と、ずばり本音をぶつけられ、渡部建さんは激怒してしまったとか。



サイテー。この2人はちゃんとした料理に慣れていない。もう二度と持っていかない、絶対食わせない
と、かなりのお怒りようだったそうですが、こんなやりとりを遠慮なくできるのも、きょうだい仲の良さゆえですよね。
まとめ
今回は渡部建の実家は金持ち!父は東芝役員で母は名家出身!兄弟など家族も調査!
ということで、渡部建さんのご実家やご両親(父・母)、兄弟姉妹といった家族にまつわる情報をお届けしました。
- 渡部建さんのご実家は東京都八王子市。生まれは府中市で、かなり裕福なご家庭だった
- ご両親は、大手企業で要職を務めたとされる生真面目なお父さんと、名家出身で料理上手なお母さん
- 母方の梅本家は「華麗なる一族」で、遠戚には山縣有朋や女優・野際陽子もいるとされる
- ご兄弟は、末っ子の渡部さんをアイドルのように可愛がっていた兄・寛さんと姉・優子さん
といった内容が見えてきました。
それでは、最後までお読みいただきありがとうございました!