俳優として活躍する永山瑛太(ながやまえいた)さん。

数々のドラマや映画に出演し、演技派俳優として高い評価を受け、多数の賞にも輝いてきました。
そんな永山瑛太さんですが、実家やお父さん、お母さんはどのような方だったのでしょうか。
今回は永山瑛太の母はどんな人?父親や弟の絢斗に兄の竜弥についてもまとめた!
今回は、永山瑛太さんの実家や両親、兄弟姉妹といった家族について詳しく調べてみました。
永山瑛太の母はどんな人?
まずは永山瑛太さんのお母さんについて見ていきましょう。
永山瑛太が幼少期のときに母は離婚!
永山瑛太さんの幼少のときに両親は離婚されています。
離婚に至った具体的な理由は公表されておらず、はっきりとはわかっていません。
ただし親権が父親側に渡っていることから、母親側に何かしらの事情があったのではとも推測できますね。
永山瑛太さんの母親は芸能人ではなく一般の方のため、実名や顔写真といった情報はほとんど公開されていません。
それでも相当な美人だったという噂は根強く残っています。
実際、永山瑛太さんが結婚する前に母親と一緒に歩いているところを、週刊誌が「年上美女との白昼デート」と報じたこともありました。
実の母親とは気づかれないほどの若々しい美貌の持ち主だったということでしょう。
また永山瑛太さんは東京都板橋区の出身ですが、生まれは新潟県で、さらに鹿児島県の血が流れていることも自身で明かしています。
新潟で生まれ鹿児島の血が入ってるんだけど、東京で育ち、長野県が好き。
— 永山瑛太 (@mituoda) April 29, 2019
長野県が好き。
カツラじゃないよ。
鹿児島は父親の出身地とされているため、新潟県は母親の出身地である可能性が高そうです。
永山瑛太と母の関係は良好
永山瑛太さんは幼少期に両親が離婚したことで、母親とは離れて暮らすことになりました。
それでも芸能界デビュー後は連絡を取り合っており、母子の関係は良好だと言われています。
2009年公開の映画『ガマの油』の記者会見は、ちょうど母の日に開かれています。
それにちなんで母の日の思い出を聞かれた際、永山瑛太さんはこう答えています。
『ありがとう。これからも健康で元気でいてください』というメールを送りました
と、母親へメールを送ったエピソードを明かしていました。
さらに「母親からくるメールの件名には『RE:』がたくさん残っているところが気になりますね(笑)」とも冗談交じりに語っていました。
親子らしい、ほっこりするエピソードですよね。
また、永山瑛太さんの父親が急逝した際には、母親も葬儀に駆けつけていたと伝えられています。
離婚という選択をしても、家族としての付き合いは絶えていなかったことがうかがえますね。
永山瑛太の父親は?
続いて、永山瑛太さんのお父さんについて紹介していきます。
永山瑛太の父・博文は2011年に自殺
永山瑛太さんの父親のお名前は永山博文さんといいます。


写真を見てもわかる通り、永山瑛太さんとそっくりな、整った顔立ちのお父さんだったようです。
博文さんは1992年に離婚を経験しています。
離婚後は親権を獲得し、シングルファーザーとして永山瑛太さんたち兄弟を男手一つで育て上げました。
博文さんは2009年、東京都板橋区に「炭火焼肉ホルモン 瑛斗弥(エドヤ)」という焼肉店をオープンしました。


この個性的な店名は、3人の子どもたちの名前の一部を組み合わせて付けられたのだそうです。
- 長男:竜弥
- 次男:瑛太
- 三男:絢斗
店名一つを取っても、博文さんの子どもたちへの愛情がにじみ出ていますね。
開店後はメディアにも取り上げられ、モダンな内装が評判を呼び、女性客からも人気を集めていたようです。
庶民的な住宅街の中ではモダンな内装。女性グループも目立った。俳優として活躍する自慢の息子2人の名前を店名に取り入れ、常連客もそれを知っていたが、息子の知名度に頼る店ではなかった
引用:https://www.zakzak.co.jp/entertainment/ent-news/news/20110221/enn1102211600012-n1.htm
しかし2011年2月16日、博文さんは55歳という若さで、自宅マンションにて自ら命を絶ちました。
背景としては、以下のような事情が重なっていたと見られています。
- 焼肉店の客足が離れ、経営不振に陥っていた
- 首のヘルニアの術後の経過が悪く、不眠だった
これらが少なからず影響していたのではないかと言われています。
現場に残されていたノートには、「喪主は瑛太で。迷惑かけてごめん」との書き置きがあったと伝えられています。
博文さんは永山瑛太さんと連れ立ってはしご酒に出かけるほどの間柄で、地元でも評判の仲良し親子だったといいます。
それだけに、永山瑛太さんが受けたショックの大きさは計り知れません。
父親の訃報が届いたのは、永山瑛太さんが映画の撮影現場にいたときだったそうです。
それでも悲しみをこらえ、撮影に集中する姿があったと伝えられています。
取材に対しては所属事務所の関係者が対応し、「本人からコメントを出せる状況ではありません」と、本人の心中を代弁するコメントを出しています。
男手一つで育ててくれた父親を突然亡くした永山瑛太さんの心境を思うと、胸が締め付けられますね。
そんな永山瑛太さん自身も、2010年に歌手の木村カエラさんと結婚し、現在は2人の子どもを持つ父親となっています。
厳しい別れも経験した永山家ですが、瑛太さん自身は自分の家庭をしっかりと築いているようです。
永山瑛太の兄弟も俳優!
永山瑛太さんには2人の兄弟がおり、いずれも俳優という道を歩んでいます。
永山瑛太の兄・竜弥は写真家・俳優として幅広く活躍!
永山瑛太さんの兄である竜弥さんは、俳優業のかたわら写真家としても幅広く活動しています。


| 生年月日 | 1979年11月24日(46歳) |
| 身長 | 179cm |
| 体重 | 71kg |
2003年公開の映画「ナオと僕」で俳優としてデビューを果たしました。
デビュー後はモデルとしても活動していましたが、まもなく俳優としての活動を休止することになります。
俳優やモデルの仕事だけでは生活を成り立たせるのが難しかったことが休止の理由だったそうです。
一時は俳優の道を離れ、この頃には次のような仕事に就いていたといいます。
- 歯科矯正器具の営業
- 防水工事の職人
- トラックの運転手
といった、俳優業とはまったく異なる仕事を経験していました。
並行して写真家としての活動も続けており、写真展を開催した経験もあります。
芸能界への未練は特になかったといいますが、2018年に劇団員の友人から誘われたことをきっかけに舞台への出演を果たします。
その経験は「このまま死ぬまで俳優を続けよう」と思えるほど、竜弥さんにとって楽しいものだったそうです。
これを機に、現在も所属している芸能事務所「エビス大黒舎」に入所しました。
そしてドラマ『病室で念仏を唱えないでください』への出演を通じて、再び俳優としての道を歩み始めます。
遠回りをしながらも、自分が心から納得できる道にたどり着けたのは幸せなことですね。
永山瑛太が俳優となったのは兄・竜弥の影響
永山瑛太さんが俳優を志したのは、兄・竜弥さんの影響が大きいそうです。
子どもの頃、永山瑛太さんは兄・竜弥さんとテレビの真似事をして遊ぶことが多かったのだそうです。
この兄との遊びが、永山瑛太さんにとって俳優を志す原点になったといいます。
竜弥さん自身は兄弟仲についてこう語っています。



兄弟仲がいいわけでも、悪いわけでもないんですよ
と控えめに語る一方、俳優活動を再開したことを伝えたときには、
兄貴はやるべきだよ
と後押しするメッセージを送っており、兄のことをしっかり気にかけているのが伝わってきます。
3兄弟のうち、真っ先に俳優の道へ踏み出したのは竜弥さんでした。
永山瑛太さんは、そんな兄の背中を見て自分も俳優を目指した可能性がありそうです。
永山瑛太さんは兄が俳優として再デビューを果たしたドラマを見て、LINEで「よかったよ」とねぎらいのメッセージを送ったそうです。
あるインタビューで竜弥さんは、弟について「役者としての実績は僕より遥かに上」と認めつつ、次のように意気込みを語っています。



これからは、『永山』と聞いて、僕の名前も挙がるようになればいいなと思います
竜弥さんなりの目標を明かした言葉でした。
互いに認め合い、尊敬し合っている素敵な兄弟だと言えますね。
竜弥さんは2026年7月24日公開予定の映画『怪奇タクシー 布告を知らぬ者達に』への出演も決まっており、俳優としての活動は着実に続いています。
ちなみに永山瑛太さんの妻は歌手の木村カエラさんですが、竜弥さんにとってはカエラさんが義理の妹という関係にもなります。
永山瑛太の弟・絢斗は大麻所持で逮捕
末っ子の永山絢斗さんも、兄たちと同じく俳優として活躍していました。
しかし2023年に大麻所持の疑いで逮捕されるという出来事がありました。


| 生年月日 | 1989年3月7日(37歳) |
| 身長 | 177cm |
| 血液型 | B型 |
両親が離婚したとき、永山絢斗さんはまだ3歳だったといいます。
そのため2人の兄とは異なり、幼い頃は一時的に母親のもとで暮らしていた時期があったそうです。
子どもの頃は学校に通わないことも多く、かなり自由な子供時代を過ごしていたようです。
そんな絢斗さんですが、中学1年生のときに兄・永山瑛太さんの映画デビュー作『青い春』を目にし、大きな衝撃を受けたのだそうです。



兄が初めて映像でデビューした作品なんですけど、それは自分の中で衝撃的すぎて、何百回観たんだろう
と振り返っている通り、この作品との出会いが絢斗さん自身の俳優人生のきっかけとなりました。
高校生の頃、永山瑛太さんに「学校辞めて役者やりたい」と打ち明けたところ、プロデューサーを紹介してもらったといいます。
結局はプロデューサーの助言もあって高校は卒業し、そこから本格的に役者としての人生がスタートしました。
2007年、テレビドラマ『おじいさん先生』で俳優としてデビューを果たします。
2010年には映画『ソフトボーイ』にも初出演するなど、着実にキャリアを重ねていきました。
しかし2023年6月16日、自宅マンションで大麻を所持していたとして逮捕されてしまいます。
これを受けて、2024年の大河ドラマ『光る君へ』への出演も自ら辞退を申し入れました。
永山瑛太が弟に叩きつけた厳しい言葉
弟・絢斗さんの逮捕という事態を受け、永山瑛太さんはこう言い放っています。
俺は許さない。それだけですね
と、身内に対して容赦のない言葉を突きつけました。
もともと永山瑛太さんは、絢斗さんが俳優の道に進む後押しをした存在でもありました。
だからこそ、今回の絢斗さんの行為はなおさら許せなかったのではないでしょうか。
ただ、あえて厳しい態度を貫いた永山瑛太さんの姿勢に、逆に弟への深い愛情を感じ取ったファンも少なくなかったようです。
瑛太の許さないって言葉は優しさなんだと思うよ。
— わんた🐝🩵 (@xelmc121567) June 17, 2023
弟が大切なんだよ、きっと。
永山瑛太さんは、以前にもテレビ番組で弟への愛情を口にしたことがありました。
6歳離れているので、小さいときからよくかわいがっていたと語り、「赤ちゃんのときの絢斗のままの感覚で、今でもかわいくてしょうがない」と告白。
引用:https://dot.asahi.com/articles/-/195020?page=1
同じ俳優という立場だからこそ、互いの出演作について感想を語り合うこともあったといいます。
逮捕を受けての厳しい発言も、根底にある深い愛情があったからこそなのかもしれませんね。
その後、2023年9月1日に東京地裁で判決が言い渡され、永山絢斗さんには懲役6月・執行猶予3年の有罪判決が下されました。
2024年9月には、それまで所属していた事務所から退社し独立したことも発表されています。
本格的な芸能活動への復帰時期は2026年7月現在もまだ明らかになっていませんが、執行猶予期間が明ける2026年9月以降が復帰のタイミングになるのではという声もあるようです。
ただ、これはあくまでもファンや周辺の憶測にとどまるもので、事務所や本人から復帰時期について正式な発表があったわけではありません。
まとめ
今回は永山瑛太の母はどんな人?父親や弟の絢斗に兄の竜弥についてもまとめた!
という事で、永山瑛太さんの実家や両親(父・母)、兄弟姉妹といった家族についての記事をお届けしました。
- 永山瑛太が幼少期のときに両親が離婚し、母とは離れて暮らすことに
- 離れて暮らしていても、永山瑛太と母の関係は良好
- 永山瑛太の父・博文は2011年に55歳で自ら命を絶った
- 永山瑛太の兄・竜弥は写真家・俳優として幅広く活躍し、2026年公開作品にも出演
- 永山瑛太が俳優を志したきっかけは兄・竜弥の影響
- 永山瑛太の弟・絢斗は2023年に大麻所持で逮捕、懲役6月・執行猶予3年の判決
- 永山瑛太の逮捕された弟に対する厳しい態度が話題となり、復帰時期が注目されている
以上、永山瑛太さんの実家や家族についての内容でした。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。