女優の室井滋(むろい しげる)さん。

映画『居酒屋ゆうれい』で数々の賞を受賞し、作家、ナレーター、ラジオパーソナリティと幅広く活躍されています。
そんな室井滋さんの実家やお父さん、お母さんはどんな方達なんでしょうか?
今回は室井滋の母は皇室関係者だった!父親や兄弟など家族についてもまとめた!
という事で、室井滋さんの実家や両親、兄弟姉妹など家族についての情報を調べました。
目次
室井滋の母は皇室関係者!
室井滋さんの母親について、調べてみました。
室井滋の母親は離婚後、皇室に仕えていた
室井滋の母親は離婚後、昭和天皇の弟・秩父宮雍仁親王の妃・勢津子さまに、10年以上お仕えしていた
室井滋さんの母親は富山県の旧家に生まれ、礼儀や立ち居振る舞いがしっかりとした女性だったそうです。
両親は室井滋さんが小6のときに離婚し、その後、母は秩父宮邸で勢津子さまの身の回りの世話や公務のサポートを担当するようになりました。
当時の役職は、いわば“女官”のような立場。皇室の日常を支える重要な役割だったといわれています。
知らなかった母の姿に驚く娘
両親離婚後、音信不通だった母の姿に、大変驚いた
秩父宮妃・勢津子さまは、旧福井藩主・松平家の令嬢として生まれた名門出身。
幼いころから礼儀作法や外国語を学び、「国際派の皇族」としても知られていました。

そんな勢津子さまのそばで長年仕えたということは、室井滋さんの母もまた、信頼と品格を兼ね備えた女性だったことがうかがえます。
実は室井滋さんがこの事実を知ったのは20歳を過ぎてからだったそう。
両親の離婚後は音信不通だった母と再会した際に、初めてその経歴を知り、大きな衝撃を受けたといいます。
知らなかった母の姿に驚きと尊敬の気持ちが入り混じった——そんな心境を後に語っています。
母の若い頃の写真には、清楚で凛とした雰囲気が漂い、育ちの良さが感じられる佇まいだったそうです。
どのような経緯で皇室に仕えることになったのかは明らかではありませんが、人柄や所作が評価された結果だったのかもしれませんね。
母を想って生まれた絵本『会いたくて会いたくて』
他界した母を想って生まれた絵本が2021年に出版
残念ながら室井滋さんの母は59歳という若さで他界。
しかし、室井滋さんは2021年に絵本『会いたくて会いたくて』を出版し、「離れていた大切な人との再会」をテーマに母への想いを描きました。

この作品には、短い時間ながらも再びつながった親子の絆が丁寧に描かれ、多くの読者の心を打っています。
大切な人へのプレゼントにもオススメの一冊ですよ。
室井滋の父親はどんな人?
室井滋さんの父親についても、調べてみました。
室井滋の父親は“破天荒で情熱的な人”だった!
室井滋の父親は、自由で型にはまらない生き方を貫き通した人
室井滋さんの父親は早稲田大学在学中から文学の才能を発揮し、『早稲田文学』に小説が掲載されるほどの逸材でした。
しかし、祖父の病をきっかけに家業(荒物問屋や造り酒)を継ぐために富山へ戻ることに。
家業を祖母に任せた後は高校教師として英語を教え、家庭を持ち、室井滋さんが誕生します。
やがて再び小説家を目指して教師を辞めるものの、思うように執筆活動が続かず、次第に酒に頼るように。
その結果、両親は離婚することになります。室井滋さんが小学6年生の頃でした。
それでも室井さんは「苗字が変わるのが嫌」と言って父と暮らす道を選び、祖母に育てられました。
この時期の体験が、彼女の人間味あふれる表現力の源になっているのかもしれませんね。
父の教育方針は芸術愛に溢れていた
父のユニークな教育には芸術愛に溢れていた
父の教育方針はとてもユニークでした。
「映画と芝居にはいくらでもお金を使っていい」と言って、室井滋さんに1冊のノートを渡したそうです。
映画を観たら感想文を書き、チケットの半券を貼って父に見せるとお小遣いがもらえるというルール。
現代においてもなかなかユニークなお小遣いルールですよね。
この“映画ノート”は、室井滋さんの想像力と表現力を育てる最高の教材でした。
室井滋さん自身も「自分が女優になれたのは父のおかげ」と語っています。
まさに、芸術を愛した父の想いが娘の人生を形づくったのでしょう。
自由奔放な父の最期
最後まで人生を楽しんだ父の最期
晩年の父は破天荒そのものでした。
室井滋さんが大学4年のとき、当時約600万円を手に上京。
「俺は今日から少し遊ぶぞ」と言い、毎日競馬や競艇に出かけては100万円ずつ“すって”帰ってきたそうです。
そんな父が風邪をひいたある日、室井滋さんは2枚で1000円のマフラーを買って首に巻いてあげ、「もう帰って」と言葉をかけました。
その翌朝、父の訃報が届きます。享年48歳、肝硬変で亡くなりました。
最後は思いきり好きなことを楽しみ、富山の実家で息を引き取ったそうです。
まさに最後まで自分のやりたいことを、やり切って楽しんだ人生ではないでしょうか。
室井滋の兄弟姉妹など家族情報もまとめた!
室井滋さんの兄弟について、調べてみました。
室井滋には兄弟はなく、大のおばあちゃん子だった
室井滋は一人っ子で、幼少期は祖母と父との三人暮らしだった
室井滋さんは兄弟がいない一人っ子で、幼少期は祖母と父との三人暮らし(実質は祖母と二人)でした。
幼稚園の送り迎えから寝るときまで祖母と一緒で、「大のおばあちゃん子」。
祖母の忍耐強さやユーモアが室井滋さんの性格などに大きな影響を与えたそうです。
晩年祖母が認知症になってからは、祖母の心に寄り添い一緒に過ごしました。
この経験が絵本などの創作の源になっているようです。
長年のパートナー・長谷川和彦
長年のパートナー・長谷川和彦と、形式にとらわれない暮らしをしている
室井滋さんは映画監督の長谷川和彦さんと、30年以上にわたって共に暮らしています。
長谷川和彦さんとは居酒屋で出会い、意気投合。
当時、既婚者で子供もいた長谷川和彦さんは、1992年に、前妻と離婚。
その後、事実婚という形をとりながら連れ添っています。
過去にインタビューに「事実婚のつもりもあんまりないです。」とコメント。
入籍した方が安心ではという質問に対し、

別に安心はいいです。どこかに行かれても全然OKなんで!
と笑い飛ばし、別れようとは思わないんですか?と訊ねると、



どうやって別れたらいいんですか?
と発言していた。
単なるパートナーシップを超えた関係性で、一般的な「結婚」「家庭」など形にとらわれない自由な関係。
まさに、自由奔放な室井滋さんに相応しい関係かもしれませんね。
室井滋は筋金入りの愛猫家!
室井滋は猫との出会いが人生を変えた
室井滋さんは現在、6匹の猫と暮らす“筋金入りの愛猫家”です。
実はもともと動物が得意ではなかったそうですが、たった1匹の子猫との出会いが、彼女の人生を大きく変えました。


20数年前のある日、自宅の外から小さな鳴き声が聞こえ、最初は「野良猫かな」と思い、しばらく放っておいたそうです。
しかし3日目、鳴き声が弱くなったのを心配して探してみると、垣根のそばで小さな子猫がうろうろしていました。
忙しい生活の中で「飼えない」と思い、スタジオに連れて行って「誰か飼ってくれる人いませんか?」と呼びかました。
するとスタッフの1人が「準備するから3日だけ預かってほしい」と言ってくれました。
その3日間で室井さんの心は一変!子猫が可愛くて手放せなくなり、そのまま“チビ”と名づけて飼うことに。
外出のときもリュックに入れて連れて歩き、仕事場にも一緒に通っていたそうです。


やがて、家の近くでケガをした野良猫を見かけるようになり、放っておけず保護。
次第に飼う猫が増えていき、最終的にはチビを含め6匹の猫と暮らすようになりました。
「猫が一番大事な存在になってから、生活がはっきり変わった」と室井滋さん。
もし猫がいなかったら、きっと心が荒れていたかもしれないと振り返ります。
猫たちのおかげで、健康や人生の価値観を見つめ直すきっかけになったそうです。
現在の自宅には、猫たちが快適に過ごせる工夫がたくさん。
日光浴や運動ができる安全なスペースも作り、まるで“小さな猫の楽園”のような環境を整えているといいます。


これからも猫達と笑顔が絶えない暮らしを送ってほしいですね。
まとめ
今回は室井滋の母は皇室関係者だった!父親や兄弟など家族についてもまとめた!
という事で、室井滋さんの実家や両親(父・母)、兄弟姉妹など家族についての記事をお届けしました。
- 室井滋さんの母親は離婚後、秩父宮雍仁親王の妃・勢津子さまに、10年以上お仕えしていた
- 室井滋さんの父親は、破天荒な小説家志望
- 室井滋さんには兄弟はおらず、幼少期は父と祖母と3人暮らしだった
- 室井滋さんは長谷川和彦さんと愛猫達と暮らしている
以上の内容がわかりました。
それでは、最後までお読みいただきありがとうございました。