俳優の草刈正雄(くさかり まさお)さん。

1970年に資生堂のCMでデビューし、二枚目俳優として活躍してきました。大河ドラマ『真田丸』の真田昌幸役などでコミカルな役もこなし、2025年から2026年にかけてはドラマ『小さい頃は、神様がいて』や映画『正直不動産』、10月期のドラマ『ポリティカルパン』にも出演しています。
家族はこの顔ぶれです。
- 父:ロバート・H・トーラーさん。アメリカ人の元軍人で、2013年に死去
- 母:草刈スエ子さん。女手ひとつで育て、2010年に死去
- 兄弟:いない。父方に異母弟がいたとされる
- 実家:福岡県北九州市小倉北区
2023年にNHK『ファミリーヒストリー』で、戦死したと聞かされていたお父さんが2013年まで生きていたことがわかり、大きな話題になりました。
草刈正雄のプロフィール
- 名前:草刈正雄(くさかり まさお)
- 生年月日:1952年9月5日
- 出身:福岡県北九州市小倉(生まれは行橋とされる)
- 身長:183cm
- 所属:バービィオフィス
事務所の名前の「バービィ」は、子どものころの愛称から来ています。2023年度には第55回北九州市民文化賞と第75回NHK放送文化賞を受賞しました。
草刈正雄の実家は北九州市小倉
育ったのは小倉北区昭和町
草刈正雄さんが育ったのは、福岡県北九州市小倉北区の昭和町あたりです。
本人も長いあいだ「小倉生まれ」と話していて、2018年の北九州市の市政だよりにも「現在の小倉北区に生まれ」と書いていました。ところが本当の生まれは、福岡県東部の行橋でした。2020年に出した本に「福岡県の東、行橋で母は僕を産み」と書いていて、2023年の『ファミリーヒストリー』でも行橋で生まれたいきさつが取り上げられ、今は行橋生まれとされています。
通っていた学校は、次のように言われています。
| 学校名 | 住所 |
| 北九州市立中島小学校 | 福岡県北九州市小倉北区昭和町16−1 |
| 北九州市立白銀中学校 | 福岡県北九州市小倉北区白銀1丁目13−1 |
| 東京都立青山高校定時制 | 東京都立青山高等学校 |
| 放送大学 | 千葉県千葉市美浜区若葉2丁目11 |
小倉西高校の定時制では軟式野球部のピッチャーとして全国大会に出ています。17歳で上京したあとは、東京都立青山高校の定時制に移って卒業しました。放送大学を卒業したという話もありますが、本人の発言などでは確かめられていません。
上京とモデルデビュー
高校時代、福岡で開かれたファッションショーを見に行ったときにスカウトされ、17歳で上京しました。翌年には資生堂の専属モデルになっています。

モデルを始めたのはお金のためで、もともとやりたかったわけではないそうです。モデルになって月収は2倍以上に増え、暮らしがやっと安定しました。
実家はお金持ち?
草刈正雄さんの実家は、お金持ちではありませんでした。
- 貧困の母子家庭で育てられた
- 小学生の頃からアルバイトを掛け持ちしていた
小倉での住まいは家賃3000円の4畳半の間借りで、中学のころに6畳の部屋に移り、17歳までそこで暮らしています。
子どものころから新聞配達と牛乳配達をかけもちし、配り終えてから学校へ行っていました。中学時代は早朝から人の倍の新聞を配り、そのお金でテレビを買ったこともあったそうです。中学を卒業すると、本のセールスや文房具店の配達をしながら定時制の高校に通いました。
週刊現代の取材では、つらい思い出の多い小倉には二度と帰りたくないと思っていたが、最近やっと故郷を懐かしいと思えるようになった、と話しています。
草刈正雄の父親はロバート・H・トーラー
父はアメリカの空軍兵
お父さんは、アメリカ・ノースカロライナ州出身のロバート・H・トーラーさんです。

7人きょうだいの三男で、1930年生まれ。18歳で入隊し、身長は193cmあったといいます。アメリカ空軍の二等軍曹として、福岡県築上郡の築城基地で航空郵便の仕分けをする部隊にいました。
築城基地の近くで路線バスの車掌をしていたのが、お母さんのスエ子さんです。2人はそこで出会い、ロバートさんが東京の羽田基地に移ると、スエ子さんも車掌を辞めて一緒に上京しました。
その後、ロバートさんは幹部候補生学校に入るため、1人でアメリカに帰ります。このとき、スエ子さんのお腹にはすでに草刈正雄さんがいました。
「朝鮮戦争で戦死した」と聞かされていた
草刈正雄さんは、お母さんから「お父さんは朝鮮戦争で戦死した」と聞かされて育ちました。そのため長年、インタビューなどでもそう話してきています。
ところが中学生のとき、おじさんから「お前の親父は生きてるぞ」と言われます。そのときの気持ちを、本人は「生きてるのか。おふくろは置いていかれたんだ。なるほどな」と振り返っていました。それ以上はお母さんに聞かなかったそうです。
『ファミリーヒストリー』で生存がわかる
『ファミリーヒストリー』からの出演依頼は、実は2回目でした。15年ほど前、番組が始まって間もないころに一度話があり、そのときは断っています。
「どうしようかな」と考えたんですけど、おふくろが一言「やめなさい」と
お母さんの「やめなさい」と、お父さんの名前のスペルがわからなかったこと。その2つでやめた、と本人は話しています。お母さんが亡くなったあと、娘の紅蘭さんと麻有さんから「パパ、やれば」と言われ、出演を決めました。
自分としては、「結局、父親は見つからなかった」で終わるものだと思い込んでましたから
2023年8月14日の放送では、知らなかったことが次々と明らかになりました。番組のスタッフはスペル違いも含めて全米18万件以上の記録を調べ、ノースカロライナ州グリーンズボロに住むいとこのジェイ・カラハムさんにたどり着きます。
DNA検査の結果、ジェイさんと草刈正雄さんは97%の確率でいとこ同士だとわかりました。ジェイさんを通じて、20代のころのお父さんの写真も見つかっています。


お父さんは1953年に西ドイツに渡ってヘルガさんという女性と結婚し、除隊後は婦人服の販売で暮らしを立てたそうです。2013年、83歳のときにがんで亡くなっていました。
写真を見たときの気持ちは、こう話しています。
友達は「あれは間違いようがないだろう」と言ってました(笑)。けれども、親父さんの写真を見ても「俺、こんな顔してるの?」って。「なんとなく似ているような気もするけど、違うよな」とか、番組でも言いましたけど「想像に近いと言えば近いかな」とか、いろいろとね
届かなかった母の手紙
スエ子さんは1953年ごろ、聞いていたアメリカの住所に手紙を出しています。ですが、そのころお父さんはもう西ドイツにいて、手紙を受け取ったのはお父さんのお母さんとお姉さんたちでした。お姉さんのマーガレットさんが、少しのお金を入れて返事を書いたそうです。手紙が本人に届くことはありませんでした。
手紙がトーラー家のお姉さんとお母さんで止まっていたことに関しては、「そうだったのか」と納得しました。「なんで?」「どうして?」とは思いませんでした
番組では、97歳になる伯母のジャニタ・カラハムさんも取材に応じ、「私は若く、お金もなかった。親子の無事を祈るしかなかった」と話していました。
おふくろのことやふたりで暮らしていた頃を思い出しますから、どうしてもこみ上げてくるものはありました。アメリカでの取材も、知るよしもなかったことが次々とわかってね。淡々と見ていたつもりでしたけど、昔からモヤモヤしていたものがスッキリしましたし、おふくろと親父が愛し合っていたこと、トーラー家の方々が僕ら母子を気にかけてくれていたこともわかりましたしね
本人は「でも、一番こみ上げたのはジャニタさんの手紙ですね」とも話しています。手紙にはこう書かれていました。



どうか どうか 私たちに会いに来てください あなたのことを思って 涙を流す日々は もう終わり これからは笑顔だけです
アメリカへ渡った特別編
2023年12月29日には、続編の『ファミリーヒストリー 草刈正雄特別編~アメリカへ 決意の旅路~』が放送されました。飛行機が苦手な草刈正雄さんが、アメリカに渡って親戚と会う3泊5日の旅です。
いとこたちは日の丸を掲げて迎えてくれました。ジャニタさんの最初の一言は「私を許してくれるの?」だったと、2026年5月の『徹子の部屋』で明かしています。お父さんのお墓の前に立ったときは、複雑な気持ちだったそうです。ジャニタさんの家の壁には、草刈正雄さんとお母さんの写真も飾られました。
『徹子の部屋』では「驚きました。長く生きてるといろいろあるんですね」「おふくろは立派だったと思います」とも話していました。
草刈正雄の母親は草刈スエ子さん
母は女手ひとつで息子を育てた
お母さんは草刈スエ子さんです。


1932年、行橋の生まれ。両親が離婚し、7歳で奉公に出たと言われています。18歳ごろに、当時の女性にとって花形の仕事だった路線バスの車掌になりました。
お父さんがアメリカに帰ったあと、スエ子さんは築城に戻ります。当時、アメリカ兵との間に生まれた子どもは強い偏見を受けていて、実家を頼ることはできませんでした。同級生のお姉さんが勤める青果店の2階にかくまってもらい、家族にも内緒で草刈正雄さんを産んだそうです。
その後は小倉に移り、日用品の卸売店に勤めながら1人で子育てをしました。暮らしは苦しく、本人は番組で「何度か僕を抱いて電車に(飛び込もうと)したことがあったらしい」と話しています。
父を悪く言わなかった母
子どものころの草刈正雄さんがお母さんから聞かされていたのは、勉強家だったというお父さんの話でした。
それと親父のことは、よく褒めていましたよ。「本をたくさん読んでいる人だった」とか、ようするに勉強家だったみたいなことをね。おそらく僕の教育のために、そうやって話していたんでしょうけどね。「父親みたいに、おまえも本を読みなさい。勉強しなさい」という。実際に、親父はそういう人だったのかもしれませんけどね
見た目についても、こう言っていたといいます。
「あんたなんて問題にならないわ」「あんたよりハンサムだった」と、親父のことを褒めているのを聞くたびにホッとはしていました
引用:https://bunshun.jp/articles/-/68097?page=2
バットを持って追いかけられた
一方で、とても厳しいお母さんでした。
母は、ひと言でいうと“すごく厳しい人”だったかな。典型的な“九州の女”。でも今思えば、『私が父親代わりにならなきゃ』という思いもあったのかもしれませんね。母は日用品の卸売店で働きながら、女手ひとつで僕を育ててくれましたから
小さいころの草刈正雄さんは「バービー」と呼ばれる、やんちゃな子どもでした。近所の人から「おたくのバービーちゃん、つないどいて」と言われるほどだったそうです。「バービー」の呼び名はお母さんが早々にやめさせていて、いたずらにも人一倍厳しかったといいます。
そういえば、バットを持ったおふくろに追いかけられたこともありました。きっと、いたずらが過ぎたんでしょうね(笑)
映画館にただで入ったのが見つかり、館主に「警察、先生、親のうち誰に知らせるか」と聞かれたときは、こう答えたとも言われています。
親だけは勘弁してください
お母さんは大の映画好きで、東映の時代劇によく連れて行ってくれたそうです。
上京を後押しし、東京で同居
17歳で上京するときも、お母さんは反対しませんでした。
僕がモデルになるため上京するときには、母はまったく反対しませんでした。内心は行かせたくなかったのかもしれませんが、『好きにしていいよ』と背中を押してくれました
上京して2年目、草刈正雄さんはお母さんを東京に呼び寄せます。収入はまだ安定しておらず、本人は「賭け」だったと振り返っています。その後、資生堂のCMに抜てきされ、俳優の道が開けました。
1988年に結婚してからしばらくは別々に暮らしましたが、のちにまた一緒に住むようになりました。
僕の結婚を機に母とは別々に暮らすようになったのですが、母が体調を悪くしてから亡くなるまで15年ほどは同居していました。母は孫の世話もよくしてくれて、娘たちをあちこち連れていってくれていましたね
2010年に脳梗塞で死去
スエ子さんは2010年、自宅の2階で脳梗塞のため急に亡くなりました。77歳でした(78歳とする記事もあります)。異変に気づいたのは、草刈正雄さんの奥さんだったそうです。
東京に呼んでよかったのかと、落ち込んだりもしました。母は最期まで“九州女”でしたから、東京で僕たちと暮らしたことが果たして幸せだったのか……
上京したころまだ30代だったお母さんの人生を、東京に呼んだことで変えてしまったのではないか。結婚しないまま生涯を終えたお母さんのことを、今も思い出すといいます。
お母さんからよく言われていた言葉が、今も心に残っているそうです。
生前、母は『ありがとう、ごめんなさいと素直に言える人になりなさい』とよく言っていました。歳を重ねれば重ねるほど、素直になるのが“勝ち”だなと思うようになりました。経験を積んでくると変なプライドが身についてしまいがちなので、素直であり続けるのは難しいですよ
「でも、そうした垢を削ぎ落として、謙虚に頑張っていきたいですね」と続けていました。
草刈正雄の兄弟は?
草刈正雄さんに兄弟はいません。お母さんは再婚しなかったため、一人っ子として育ちました。
お父さんとヘルガさんの間には男の子が1人いたそうで、本人は「事前にちょろっと聞いてはいました」と話しています。ただ、深くは聞かなかったので、詳しいことは出てこなかったとのこと。ネットではこの異母弟が若くして亡くなったという話もありますが、本人が話したものではなく、本当かどうかはわかりません。
草刈正雄の妻と子ども
妻は大塚悦子さん
奥さんは、元モデルの大塚悦子さんです。1977年のドラマ『華麗なる刑事』で知り合い、9年の交際を経て1988年12月31日に結婚しました。勝野洋さんに勧められてその場で電話でプロポーズし、翌日には婚姻届を出しています。
子育てについては「かみさんがひとりで育ててきたみたいなもの」と話していました。
子どもは3人
子どもは3人です。
- 長女:紅蘭さん。タレントで、2018年に女の子を出産
- 長男:雄士さん。2015年に23歳で死去
- 次女:草刈麻有さん。女優
長男の雄士さんは2015年2月14日、23歳で亡くなりました。「おやじと一緒に俳優みたいな仕事、したいかな」と話していたそうです。本人は、雄士さんを亡くしてから家族の結びつきが強くなったと語っています。
紅蘭さんは『ファミリーヒストリー』のあと、おじいさんの写真をSNSに載せ、「パパにも雄士にも似てる」と書いていました。孫について聞かれると、草刈正雄さんは「メロメロ」と答えています。2026年10月17日時点で草刈正雄さんは74歳。2018年12月に生まれた紅蘭さんの娘は、7歳になりました。
まとめ
今回は「草刈正雄の母スエ子や父ロバートの顔画像!兄弟など家族も調査!」と題して、草刈正雄さんの家族についてまとめました。
- 実家は北九州市小倉北区。生まれは行橋で、貧しい母子家庭で育った
- 父はアメリカ空軍兵だったロバート・H・トーラーさん。戦死と聞かされていたが、2013年まで生きていた
- 『ファミリーヒストリー』でアメリカの親戚が見つかり、伯母のジャニタさんと対面した
- 母のスエ子さんは女手ひとつで息子を育て、2010年に亡くなった
- 兄弟はいない一人っ子。父方に異母弟がいたとされる
- 妻は大塚悦子さんで、子どもは紅蘭さん・雄士さん・麻有さんの3人
以上の内容がわかりました。
それでは、最後までお読みいただきありがとうございました。