漫画家・絵本作家のやなせたかしさん。

「アンパンマン」の原作者として知られる他、「てのひらを太陽に」「勇気のうた」等作曲家・詩人としても生涯活躍し続けました。
そんなやなせたかしさんの実家やお父さん、お母さんはどんな方達なんでしょうか?
今回はやなせたかしの家族構成や家系図がこちら!両親や兄弟も調査!
という事で、やなせたかしさんの実家や両親、兄弟姉妹など家族についての情報を調べました。
目次
やなせたかしの実家はお金持ち?
まずはやなせたかしさんの実家について調べてみました!
やなせたかしの実家の場所や住所はどこ?
やなせたかしの実家は高知県香美市と南国市ごめん町!
やなせたかしさんの実家は高知県香美市と南国市ごめん町であり、やなせたかしさん自身も2つの町を「ぼくの故郷のまち」と呼んでいました。
当時の実家の外観の写真は見つかりませんでしたが、高知県香美市はやなせたかしさんの「父方の実家」であり、実家跡地は墓地公園「やなせたかし朴ノ木公園」となっております。

「高知県香美市香北町朴ノ木405」にあり、やなせたかしさん自身のお墓もそこに設置されました。
また南国市ごめん町は小学2年生から青年期、引き取られた伯父の家に住んでいました。

現在「高知県南国市駅前町3丁目-2-24」にあった伯父の病院跡地は「やなせたかし・ごめん駅前公園」となっております。
ファンとして一度訪れてみたい2か所ですね!
やなせたかしの実家はお金持ち?
やなせたかしの実家は裕福な家庭の可能性あり!
やなせたかしさんの実家は裕福な家庭である可能性が高く、その根拠として
- 父方の実家が伊勢平氏の末裔で300年続く旧家
- 父が上海に派遣され、数年家族で移住した経験あり、育ての親である伯父も開業医
- 東京高等工芸学校図案科(現:千葉大学工学部デザイン学科)に進学
等が挙げられます。
特に「東京高等工芸学校」は当時官立学校であり、大正時代から昭和初期にかけて高等教育を受けられるのは本当に限られた子どもだけだったそうです。
余程の経済力がないとできませんよね。
上記の情報を総合すると、やなせたかしさんの実家は少なくとも裕福なご家庭と考えて間違いないでしょう。
やなせたかしの実家の両親(父・母)はどんな人?
やなせたかしさんの実家のお父さん、お母さんについても調べました!そして家系図がこちら!

それぞれ見ていきましょう!
やなせたかしの父親は幼少期に客死
やなせたかしさんが5歳の時、お父さん・清さんは中国で32歳と言う若さで亡くなっています。

- 名前:柳瀬清(やなせきよし)
- 年齢:享年32歳
- 経歴:日本郵船→講談社→東京朝日新聞(記者)
- 学生時代は中国・上海の東亜同文書院(戦前に存在していた私立大学)に留学経験あり
当時としてはとてもエリートな人だったのではないでしょうか?
やなせたかしの母親は綺麗な方!
やなせたかしさんのお母さんは柳瀬登喜子さんです。

- 名前:柳瀬登喜子(やなせときこ)
- 年齢:享年73歳
- 高知県立高知第一高等女学校に通っていた
- 生け花と茶の湯で教室を開いて生計を立てようとしていた
写真を見るに、お綺麗な方ですね!またやなせたかしさん曰く、アグレッシブな人だったんだとか。
やなせたかしの伯父は育ての親!
やなせたかしさんの伯父さんは登喜子さんの再婚を機に当時小学2年生のやなせたかしさんを引き取りました。
- 名前:柳瀬寛(やなせひろし)
- 年齢:享年50歳
- 職業:内科・小児科医師、長岡郡医師会長(開業医)
- 学歴:京都府立医学専門学校(現・京都府立医科大学)卒業
顔写真は無かったのですが、当時開業医とはまたエリートな方ですね!
またやなせたかしさんが「図案科」を目指したのは寛さんのアドバイスがあったからだそうです。
やなせたかしの伯母は京都から嫁いできた!
やなせたかしさんの伯母は京都から嫁いできた方で、寛さんを支えていました。
- 名前:柳瀬キミ(やなせきみ)
- 京都の菓子問屋の娘さんで、実家は寺にお供えするお菓子を卸していた
- 商家の出なので嫁ぐ前は読み書きより琴や三味線の稽古が優先されていた
ちなみに寛さんが京都医学専門学校在学中に知り合ってお付き合いの恋愛結婚だったそうですよ。
やなせたかしの両親&伯父夫婦のエピソードも紹介!
東京朝日新聞社会部の新聞記者だった清さんは帰宅時間も不定で海外出張にもよく出掛けていましたが、休みの日には色々な所に連れていってくれたそうです。
記憶には無いのですが、家族で富士登山をしている写真も残っています。
引用:https://school.js88.com/common/childhood/taught?celebrity_id=10006
また、父はテニスと水泳の達人で、それは立派な体つきをしていました。性格的には大変優しく、外出のたびにお土産を買ってきてくれたことが印象的です。
優しく家族思いのお父さんだったのですね!
登喜子さんは躾に厳しくモノサシで叩く事もありましたが、「あいうえお」一覧表を作ってくれて、そのおかげでやなせたかしさんは小学校入学前には簡単な数学と読書力が身に付いていたんだとか。
躾に厳しくも子供の教育に力を入れるお母さんだったのですね!
ですが清さんが32歳と言う若さで亡くなった後、登喜子さんは生計を立てようと琴や三味線、生け花、茶の湯等とありとあらゆる習い事をしました。
当時は今より女性は専門的な技術を習得しなければ、自立して生きていくのは容易ではなかったそうですからね。
当時やなせたかしさんは幼いながらも自立しようとする登喜子さんを分かっていたそうで

華やかな性格な人だった
と綺麗な母を自慢にも思っていたようです。
結局登喜子さんは再婚をし、やなせたかしさんは伯父夫婦の寛さんとキミさんに引き取られる事になりました。
やなせたかしさんの弟・千尋さんを養子に迎え入れ、やなせたかしさんも引き取り育てた寛さんとキミさん。
寛さんは開業医でしたが、やなせたかしさんが絵の勉強ができる学校に行きたい事を打ち明けると「図案をやれば、将来、職業になるんじゃないか」と親身になってアドバイスしてくれました。
医学部に進学する意思はないことを告げながら、やなせが「絵の勉強ができる学校に行きたいんです」と打ち明けると、伯父は「図案をやれば、将来、職業になるんじゃないか」と親身になってアドバイス。先行きが見えなかったやなせの将来を、明るく照らした
引用:https://toyokeizai.net/articles/-/877144?page=2
やなせたかしさんは寛さんを



伯父であり第二の父
と感謝をしています。
またやなせたかしさんはキミさんについて、嫁いだ後文字の練習をさせられたと分かるノートを押し入れから見つけており、



それを見ると可哀想だった
とも語っています。
そんなキミさんはやなせたかしさんを「タカちゃん」と呼んでおり、思春期の際家出をして戻ってきた時には安心のためか泣き崩れたそうです。
優しく愛情深い人なのですね!
ご両親も育ての親である伯父夫婦も、やなせたかしさんを見守ってくれていたのでしょうね。
やなせたかしの兄弟姉妹も調査!
やなせたかしさんに兄弟や姉妹がいるかどうかも調査しました!
やなせたかしの兄弟は弟・千尋さん!!
やなせたかしさんには弟・千尋さんがいらっしゃいました。


写真の左側の男性だそうです。プロフィールはこちら!
- 名前:柳瀬千尋(やなせちひろ)
- 年齢:享年23歳(戦死)
- 学歴:京都帝国大学
- 3歳の時に伯父の養子となる
- 1943年に学徒出陣が始まり、海軍予備学生となる
幼少期は病弱で、何をするにも「兄ちゃんと一緒でなければいやだ」と言うような子どもだったそうです。
やなせたかしさんは「やなせたかし おとうとものがたり」(フレーベル館)にて弟の千尋さんについて「性格も明るく成績も良く、柔道二段で快活であった」



とにかく君はまぶしかった
と振り返っています。
またアンパンマンを描く時千尋さんに似てる所があって、千尋さんを想って切なくなる時もあったんだとか。
自慢の弟さんとして、仲が良かったのですね。
まとめ
今回はやなせたかしの家族構成や家系図がこちら!両親や兄弟も調査!
という事で、やなせたかしさんの実家や両親(父・母)、兄弟姉妹など家族についての記事をお届けしました。
- やなせたかしさんの実家は高知県香美市と南国市ごめん町、裕福なご家庭!
- やなせたかしさんのご両親、育ての親の伯父夫婦ともに息子の事を大切に想っていた
- やなせたかしさんの弟・千尋さんは仲が良かった兄弟で23歳で戦死
以上の内容がわかりました。
それでは、最後までお読みいただきありがとうございました。